外交とプロパガンダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)
「第一次世界大戦」の記事における「外交とプロパガンダ」の解説
詳細は「第一次世界大戦の外交史(英語版)」を参照 参戦諸国の外交とプロパガンダは自国の主張への支持を築き、敵国への支持を弱めるよう設計された。戦時外交の目的は5つあった。戦争の目的を定義することと(戦況の悪化につき)再定義すること、中立国に敵国の領土を与えることで中立国(イタリア、オスマン帝国、ブルガリア、ルーマニア)を味方に引き入れること、そして連合国が中央同盟国国内の少数民族(チェコ人、ポーランド人、アラブ人)運動を支援することだった。また中立国、参戦国いずれも平和案を提示したことがあったが、結実することはなかった。 同じ主題に関するプロパガンダでも、時と場合によってその指向が異なった。例えば、ドイツ軍が初めて毒ガスを使用したとき、連合国はアメリカを味方に引き入れるためにドイツ軍が「ハーグ陸戦条約に違反して残忍で非人道な武器を導入した」と宣伝した。しかし、英仏軍が毒ガスの報復攻撃を行うと、宣伝の内容が「ドイツ軍が先に毒ガスを使用したことは報復攻撃を正当化し、連合国はやむなく似たような武器を使用した」に変わった。さらに1917年春、夏には連合国が毒ガスに関するプロパガンダを一切行わず情報をシャットアウトしたが、これは米軍が必要以上に毒ガスを恐れないようにするためだった。そして、米軍が参戦した後は情報を全て公開して「連合国の技術が進み、正義が邪悪に打ち勝った」と宣伝した。
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