墓誌の論点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:16 UTC 版)
墓誌は石面一面に書かれているのが普通だが、この墓誌では16行中の左4行1/4が空白になっている。だがそういう例も、異国人「故九姓突厭契芯李中郎贈右軍衛大将軍墓誌文」16行中の墓誌銘の後にも空白3行があり、他にも例があると中国側から指摘がある。 蓋が小さく墓誌を覆えない。蓋には模様もなく、全体に小型の部類でかなり簡素である。石材は漢白玉質の39.5センチメートルの正方形、厚さ10センチメートル。蓋は枡を伏せた形で青白質で1辺37センチメートル、厚さ7センチメートル。既製品の墓誌を業者に発注したものではないか、との見方もある。罫の縦線は直線だが横線は途切れたり数回に渡って引き直されたような痕跡があり、葬儀と共に刻文も早急な作業がされたとみられる。 唐代墓誌では死去から葬儀までは平均7カ月間なのに、尚衣奉御の官職の葬儀として最短13日または最長で33日間は短く、657年の他の尚衣奉御官吏の夫人の葬儀でも41日間かけていて、井真成は本人なのに、かなり短期間である。 上記の早急さの原因の一つに、開元21年秋の長雨をきっかけにして、長安のある関中一帯を大飢饉が襲っていた。玄宗皇帝は秋から、百万人の政治都市長安の食糧問題から長期避難の洛陽行幸を決意し、開元22年(734年)正月7日には長安を出発していて27日洛陽に着き、開元24年までいた。この、極めて慌ただしい中で死去していることが、原因の一つに挙げられている。 文案は唐朝の秘書省の文章担当の著作郎によると推定し、書かれるべき「渡海」や「死因」が、記述されないのは情報が無かったとする。 墓誌は冷静で丹念な楷書体で書かれていて、書者は、事務的な緊張を要する墓誌を書くような修練を積んでいる。真成は唐留学生であり男子がいても小さく妻女は携われず、書いたのは親族ではなく、葬儀事務担当官や僧侶が書者例として残る。だが蓋の篆書体は墓誌の楷書と同じ右上がりの角度が一致していて同じ書者だが、文字の構造を理解せず形だけまねていて、習練していない。井真成墓誌の開元時期には篆書体は一部の専門家にしか書けないものだが、形式は水準程度には達していて、このことから、書者は葬儀の事務官のような立場だと推定する。 表記形式が一般のものと若干異なる。1行目「贈、尚衣奉御」から始まるが、普通の表記であれば、贈の字を取り「唐(大唐)故尚衣奉御」となるのが通常であり、最高位の極官が記されていないので唐朝に任官していなかったとの東野治之の見解がある。だが、遺贈では678年に同様の「故贈尚衣奉」とする県主の官職の墓誌銘の例があり、生前皇帝に関係する何らかの役目に就いていたとの説を中国側が反論している。 2行目の墓誌の唐代の氏名表記は「姓・諱」「君又は公・諱」だが、「姓字」となっている。 1行目の「墓誌文」とあるのは、通常「墓誌銘」である。10行目の「辞曰」は辞「銘」か「詞」である。 11行目の「異土」は通常の唐用語ではなく、文案作成に日本人が関わったと日本研究者が主張した。だが中国研究者の王建新から、唐時代の文選集『全唐文』に「異土」使用例があり、まだ発掘例が不足していると指摘された。 どのような生計を立て生活をしたか。学問をどう修めたか。 唐朝に墓誌の「衣冠を襲ひ」は仮定なのか、そのとおり奉職したか。 あるなら記載される官歴が記されていないのに、死後に尚衣奉御の高い官位を賜っている。尚衣奉御は唐代前半は皇族やその親族功臣近親者に名目的に任用され後期に実務者に移るが、単なる留学生になぜ重要な役職が、遺賜されたのか。 なぜ葬儀が官給されたのか。唐朝規定で、各国の遣唐使の往路の死去には100貫、その妻と副使の往路での死去には70貫の葬料が支給され墓も公葬されたが、井真成はその職になく滞在中であり全く規定外である。 墓誌は貴族やその係累、官職などの重要な人物でないと作成されない。日本は20年に1回の朝貢約定で、実質は平均16年毎1回の遣唐使で長期留学生で記録に残るのは計20人余り。1回2名として漏れを考慮しても30人の留学生だが、新羅は、地続きの事もあり毎年留学し累計216人で、周辺国も留学生は多く、長安で1000名、多いときは数1000名が在住していた。当然死者はあったはずだが、洛陽も含めて留学生の墓誌は他には発見されていない。なぜ井真成のみが、留学生という立場で唐国民でない可能性が大きいのに墓誌が作成されたのか。 発見が科学的調査によるものではなく、建設工事現場でショベルカーで地下から掘り出され傷がついた。墓はそのまま破壊され、その後墓誌は、個人の手に渡り、西安の民間の発掘品市場で売り出されたため、いつ、どこで掘り出されたものか不明である。
※この「墓誌の論点」の解説は、「井真成」の解説の一部です。
「墓誌の論点」を含む「井真成」の記事については、「井真成」の概要を参照ください。
- 墓誌の論点のページへのリンク