墓荒らし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 00:50 UTC 版)
日本 1060年、推古天皇陵山田高塚古墳が盗掘された。 1063年、成務天皇陵佐紀石塚山古墳が盗掘された。 1235年3月20日と21日に、天武天皇と持統天皇が納めれた野口王墓に盗掘があったことが、藤原定家の日記『明月記』に記載されている。 1844年と1848年に、再び佐紀石塚山古墳で盗掘が行われた。 1915年、日葉酢媛命陵佐紀陵山古墳が盗掘された。 中国 詳細は「中国での盗墓史(中国語版)」を参照 秦の始皇8年(紀元前239年)に完成した思想書『呂氏春秋』の10巻に、墓荒らしについての記載があるように昔から盗掘が行われていた。 1980年代の改革開放による建設ラッシュ、そして21世紀初頭の墓荒らしを題材とする小説ジャンル「盗墓小説」が流行し、その影響からか盗掘も活発化した。 荒らされた墓で著名なものは、項羽、曹操、孫権、孫殿英がある。 アメリカ 1876年11月7日にエイブラハム・リンカーンの墓を暴こうとする試みがあった。 ロシア 1920年代後半、ロシアで著名な医者であったニコライ・ピロゴフの墓が荒らされ、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から贈られた剣などが奪われた。 ヨーロッパ 組織的犯罪により行われており、貴重な考古資料が闇市場で売り買いされている。対象は、先史時代の物から第二次世界大戦の墓まで幅広く狙われている。 人工的な大飢饉ホロドモールの際に、食料とするために墓が荒らされた。
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