墓葬の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 03:52 UTC 版)
虞弘の墓は、太原市晋源区(中国古代の晋陽にあたる)晋祠鎮の王郭村に位置しており、1999年に出土したレンガ積みの単室墓である。墓頂はすでに壊れており、現存の墓道・甬道・墓門および墓室は、全長が13.65メートルである。墓室中央の北寄りに倣木構の漢白玉の石槨が安置されており、八棱漢白玉の石柱・石俑・陶俑・銅銭・白磁碗・墓誌銘など副葬品は80件あまりある。長さ2.48メートル、幅1.38メートル、高さ2.17メートルの漢白玉の石槨は、槨頂・槨身・底部の三部分数十個の物件で構成されており、頂部は三開間歇山頂の建築様式である。四周はレリーフで覆われ、レリーフ画面の一部は描金が施されている。レリーフ画の内容は宴飲図・楽舞図・狩猟図・家居図・醸酒図・行旅図などである。レリーフの中の人物はみな鼻が高く目彫りは深くひげの濃いコーカソイドであり、その中の少なからぬ人物の頭にはペルシアの日月冠を戴いている。その他の図案にも銜綬鳥・帯綬馬・胡騰舞・頭部に扇形長帔をつけた人物などペルシアや中央アジアの風格が濃厚である。このほかには、ローマ帝国で崇拝を受けたインドとイランの神であるミスラの現し身がレリーフ中に現れている。これらのレリーフ画は墓主の故郷の風物を再現するのみならず、虞弘の信仰するゾロアスター教の第一級資料を提供するものである。このほか、虞弘墓の石槨には槨があって棺がないのも、中原の喪葬習俗と完全に異なっている。
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