墓跡と墓誌銘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:48 UTC 版)
伊福吉部徳足比売の墓跡 伊福吉部徳足比売の墓跡の位置北緯35度12分38.28秒 東経134度19分52.96秒 / 北緯35.2106333度 東経134.3313778度 / 35.2106333; 134.3313778 江戸時代の安永3年(1774年)、因幡国法美郡稲葉郷宮下村(現鳥取県鳥取市国府町宮ノ下)にある無量光寺の裏山(宇部野山。現稲葉山)中腹から、長さ140cm、幅86cm、厚さ47cmの2枚の凝灰岩で作られた蓋石と台石から成る石櫃が発見され、蓋石の中央には穴を穿って骨蔵器が納められていた。その骨蔵器は鋳銅製で高さ16.5cmの合わせ蓋式、中には青灰色の灰のようなものがあったと伝えられている。直径26.4cmの蓋の表面には、108文字の漢字が16行にわたり放射状に刻まれており、徳足比売の経歴と葬送の経緯が記されている。 伊福吉部徳足比売の墓跡は国の史跡に指定されるとともに、骨蔵器も国の代表的逸品として重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館に保管されている。いずれも地方豪族層女性の葬送儀礼を知る上での貴重な資料であるが、特に墓誌銘は因幡国で発見されている最古の文字でもある。
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