四方拝
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/19 13:56 UTC 版)
四方拝(しほうはい)とは、毎年1月1日(元日)の早朝、宮中の庭で天皇が天地四方の神祇を拝する儀式。 四方を拝し、年災消滅、五穀豊穣を祈る宮中祭祀[1][2]。
注釈
- ^ 上皇明仁の場合、曾祖父・明治天皇の伏見桃山陵、祖父・大正天皇の多摩陵、父・昭和天皇の武蔵野陵の三陵。
- ^ 皇極天皇の漢風諡号の「皇極」と重祚した時の「斉明」は中国古典に由来するが共に「中央」や北斗七星と関連がある語である[7]。
- ^ 『江家次第』には「関白四方拝」「庶臣儀」に関する記述もある[要出典]。
- ^ ただし、江戸時代においても摂家など一部の公家の間でも四方拝が行われていた記録も残されている。例えば元文3年(1738年)の元旦に当時の関白一条兼香が四方拝の行った時に記録が、彼の日記『兼香公記』に残されており、それによれば、天皇の四方拝と異なり三座が設けられず、山陵に代わって藤原氏や陰陽道に関わる諸神・諸社への拝礼が行われている[要出典]。
- ^ 属星(ぞくしょう)とは、誕生年によって定まるという人間の運命を司る北斗七星のなかの星のことで、子年は貪狼星(ドゥーベ)、丑年と亥年は巨門星(メラク)、寅年と戌年は禄存星(フェクダ)、卯年と酉年は文曲星(メグレズ)、辰年と申年は廉貞星(アリオト)、巳年と未年は武曲星(ミザール)、午年は破軍星(アルカイド、ベネトナシュ)となる[26]。
出典
- ^ a b c 小池康寿 (2015), p. 36.
- ^ 林淳 (2005), p. 52-53.
- ^ 松山能夫 (1966), pp. 75–76.
- ^ 渡辺瑞穂子 (2020), p. 90.
- ^ a b 八束清貫 (1957), p. 11.
- ^ 渡辺瑞穂子 (2020), pp. 91–92.
- ^ 渡辺瑞穂子 (2020), pp. 113–114.
- ^ 渡辺瑞穂子 (2020), pp. 276–280.
- ^ 渡辺瑞穂子 (2020), p. 337.
- ^ 斎藤英喜 (2007), p. 31.
- ^ 繁田信一 (2005), p. 129.
- ^ a b 小池康寿 (2015), p. 38.
- ^ 林淳 (2005), p. 52.
- ^ a b 林淳 (2005), p. 53.
- ^ 石野浩司 (2011), pp. 138–154.
- ^ 石野浩司 (2011), p. 136.
- ^ 小池康寿 (2015), p. 33.
- ^ 林淳 (2005), pp. 44–48.
- ^ 圭室文雄 (2006), p. 279.
- ^ 小池康寿 (2015), p. 34.
- ^ 繁田信一 (2005), pp. 72–76.
- ^ 林淳 (2005), pp. 75–77.
- ^ 岡田荘司 (2010), pp. 136–137.
- ^ 木場明志 (1982), pp. 65–66.
- ^ 村和明 (2013), pp. 254-260、275-276.
- ^ "属星". 精選版 日本国語大辞典(小学館). コトバンクより2023年12月14日閲覧。
- ^ 石野浩司 (2011), pp. 149–154.
- ^ 渡辺瑞穂子 (2020), pp. 79–80.
- ^ 藤田尚徳 (2015), pp. 9–11.
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