初代 G50型とは? わかりやすく解説

初代 G50型 (1989年-1997年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 15:06 UTC 版)

インフィニティ・Q45」の記事における「初代 G50型 (1989年-1997年)」の解説

1989年平成元年)、日産北米高級車市場一角狙いインフィニティディヴィジョンを立ち上げたその際のフラグシップカーとして投入されたのがQ45である。 日本国内での登場1989年平成元年11月。本来は「インフィニティ」がブランド名、「Q45」がモデル名であるが、日本では日産・インフィニティQ45」として販売された。日産CIではなくインフィニティエンブレムがつくものの、リヤガーニッシュ下部中央NISSAN文字が目立たなく配された。(後期型は文字若干目立つように変更された) エクステリアデザイン社内よるもの当時デザイン部所属していた山中俊治担当したキャッチフレーズは「ジャパン・オリジナル」。 「ジャパン・オリジナル」のキャッチフレーズの元、旧来の高級車像とは違う、独自の価値観追い求めた点で評価高かった従来一般的な高級車のようにメッキ仕上げ大型フロントグリル備えことなく、グリルレスの薄いマスク七宝エンブレムのみを取り付けたまた、高級車では当然の装備とされる木目パネル一切使用せず、和の象徴ともいえる漆塗り金粉蒔絵)のインストルメント・パネル(KOKONインスト)をオプション設定するという、世界高級車常識挑戦するのような斬新なコンセプト発表された。ソフト面日本文化体現する一方で、その走り北米市場日産対す期待反映し若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、こちらも異色であった足回りは、前後ともマルチリンク式サスペンションで、901運動集成とも言える油圧式アクティブサスペンションを持つ仕様日米ともラインナップされていた。輸出仕様のみであるが4輪操舵システム設定された。エンジン出力日本製自動車としてはじめ300馬力達し同時期に発表され日産・フェアレディZZ32型)・日産・スカイラインGT-RBNR32型)とともに300馬力トリオとなる予定であったしかしながら運輸省当時)からの行政指導により、280馬力自主規制された。 18金製のゴールドキー価格52万円)がディーラーオプション設定され現物銀座日産本社ギャラリー展示されていた。 北米仕様においては日本仕様比べてよりパーソナルカー的な性格強く、ベースグレードの「Q45」のほかに、リアスポイラーBBSホイールなどが装備され日本仕様にはないスーパーHICAS設定があったツーリングモデルの「Q45t」、そして、アクティブサスペンションなどが装備された「Q45a」が設定された。また馬力規制され日本国内向と異なりフェアレディZとともに日本車としては初の300馬力となったしかしながらQ45特徴でもあったグリルレスデザインは、大多数ユーザーやその予備軍には不評で、アフターマーケット販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーもおり、エアロパーツメーカー自社エアロ合わせた後付けフロントグリル開発していた。その後1993年平成5年6月行われたマイナーチェンジでは、七宝エンブレムや漆インパネ廃止されローバー・800似たフロントグリル木目パネル取り付けられることになり、デビュー時提唱していたQ45独自の高級車観が最後まで貫かれることはなかった。 発表翌年、このクルマG50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan日本国内専用の意といわれている)が誕生している。こちらでは最初から大きなフロントグリル装着されている。 日産はインフィニティブランドの日本再展開を検討したこともあったものの実現至っていなかったが、2014年デビュー13代目スカイライン、及び2015年にビッグマイナーチェンジをした日産・フーガにおいて国内仕様ではインフィニティエンブレムをスカイライン2019年のマイナーチェンジまで、フーガ2019年一部改良まで採用していた。 1989年11月 - 国内販売開始1990年10月 - 一部改良サイドインパクトバー追加トラクションコントロールオプション設定ハイマウントストップランプ標準装備化といった安全装備充実させた。装備面では内装トリム質感上の他、後席のパワーシートなどが新たにオプション設定された。 またパワーシートスイッチの形状見直されL字型3スイッチタイプに変更1993年6月 - マイナーチェンジフロントグリル取り付けられ、リヤガーニッシュの色が黒からグレー変更されるインテリア主な変更は、ウォールナット材の本木目ATフィニッシャー採用シート形状変更アナログ時計白地黒地変更された。 1994年10月 - 一部改良内装照明簡素化内装素材コストカットなど。93年モデル本木パネルであった木目調パネル変更されている。4型液晶使ったAVシステム設定全車にサンルーフレス仕様車が選択できるようになった1995年11月 - ボディカラー一部見直し1996年 - 北米では一足先に2代目Q45(FY33型シーマ)にモデルチェンジ1997年7月生産終了以降在庫応分のみの販売となる。 1997年8月 - FY33型シーマ統合される形で販売終了同年末までの新車登録台数累計2万3684台

※この「初代 G50型 (1989年-1997年)」の解説は、「インフィニティ・Q45」の解説の一部です。
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