刃物製造業者への打撃
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「刃物を持たない運動」の記事における「刃物製造業者への打撃」の解説
『東京新聞』は1961年(昭和36年)2月7日の記事で、東京の上野駅近くの刃物店の「あれ以来、店の売上げは二、三割減りましたよ。あんまり"刃物を持つな"って宣伝するもんだから。問題になった飛び出しナイフや登山ナイフばかりでなく、家庭の台所で必要な刃物まで売れなくなりましたよ」との声を紹介し、運動が始まった当初、青少年に刃物を売らないことを申し合わせて店頭に掲げていた断り書きも「趣旨はわかってるけれどこんなものをいつまでもはっておいたら商売になりませんよ」と、既に剝がしていることを伝えている。 岐阜県関市の刃物製造業者は、運動への協力として前述のように「刃先を丸くする」ことなどを申し合わせたが、登山ナイフなどが返品され始めると「事業を縮小するか、デザインでも変えなければ倒産だ」「いや警察や運動のPRが悪いからだ」と「大騒ぎ」になった。特に運動で排撃の対象となった飛び出しナイフ、登山ナイフ、ポケットナイフを中心に返品が相次ぎ、注文が減ると共に、家庭用の包丁類の注文まで巻き添えを食う形で減少した。市の商工観光課で調査したところ、返品で被った損害は約163万円で、注文の取り消しや減少を含めると約700万円に上った。業界から陳情を受けた市は、関金属工業協会が建設を計画している圧延機などの高度な共同施設に補助金を出すなどして、支援を行うとした。 兵庫県三木市ではかつて、鉛筆削りなどに子供にも使用され、広く親しまれた折畳み式ナイフ「肥後守」を数十の業者が製造しており、最盛期の1950年代前半には市内では約40業者が、月産100万丁を生産していた。しかし刃物追放運動によって問屋からの返品が相次ぎ、運動の最中の時点で、業者は約10軒に激減している。 こうした状況を受け、日本社会党の衆議院議員である田中武夫は1961年(昭和36年)2月28日、第38回国会に際して「刃物追放運動に伴う中小零細企業の救済に関する質問主意書」を提出。「町の刃物店は年末から軒並みに売り上げが三割に減じ、返品が殺到する全国各産地の刃物工場は、在庫激増で閉鎖寸前にまで立ち至り、整理された従業員が自殺する騒ぎまで生じており、その経営が危たいにひんし、深刻な問題となつている。」と述べ、以下の3点を質問した。 (イ) 刃物追放運動の「刃物」とはどのようなものまで考えているのか。刃物と学童用の文房具(工作用の器具を含む。)との限界について。 (ロ) この運動の余波を受けて、経営上深刻な問題に直面している中小零細企業に対し、どのような対策があるか。 ことに、兵庫県三木市、小野市は古来伝統のある金物の産地として知られており、この地方には零細な金物製造業者が多く、三木市ではかつては月五万ダースの肥後守を出荷していたのに、十二月には二百六十ダースに落ち、新規注文は皆無の状態である。 また小野市では十二月に約三万ダース(三百万円)の返品があり、在庫額は千七百万円に達している。このように目下業界は死活の重大時に直面しているが、具体的救済策があるか。 (ハ) 治安立法(銃砲刀剣類等所持取締法改正案)において「刃物」をどのように規定しようとしているのか、また、政府は右翼テロ対策を刃物追放ですりかえようとしているのではないか。 — 田中武夫「刃物追放運動に伴う中小零細企業の救済に関する質問主意書」 この質問に対し、内閣総理大臣の池田勇人は「衆議院議員田中武夫君提出刃物追放運動に伴う中小零細企業の救済に関する質問に対する答弁書」で次のように回答した。 (イ) 「刃物を持たない運動」は、最近の少年非行、とくに凶器類を使用した凶悪犯や粗暴犯の増加の傾向にかんがみ、青少年犯罪を未然に防止するため、刃物類を不必要に持ち歩かないようにしようとするものである。 この運動は、最初、民間から始まり、ついで青少年問題協議会および広範な民間団体の支持協力の下に展開されている。 したがつて、この運動は、 1 不必要に危険な刃物類を持ち歩かない風潮を高めること。 2 刃物類の保管、管理に十分注意するよう関心を高めること。 3 児童、生徒が不必要に刃物類を持ち歩かなくてすむように、学校に鉛筆削り器、工作用具等を備えつけるようにする。 4 必要があつて携帯する場合の安全な携帯の指導をすること。 等を主眼として行なつている。 また、この運動の対象とする刃物の範囲についていえば、特定の刃物のみを対象とするものでなく、人を殺傷する危険性のある刃物一般の携帯を自粛させようとするものであるが、法にふれない限り、その所持まで抑制しようとするものではない。したがつて学童用の文房具や家庭用の日常刃物類に対してまでもその所持及び販売の抑制に及ぶものではない。 (ロ) 刃物類製造業の当面の不振は、文房具様式の変化に加えて「刃物を持たない運動」による影響も否定できない。とくに肥後守の生産地である三木・小野両市は相当の影響を受けていると考えられる。 これに対しては、「刃物を持たない運動」に伴う関連業界なかんずく中小企業者に対する影響に十分留意して政府としては次のような措置を講ずるようにしたい。 1 できるだけ危険性の少ない刃物を工夫して生産する。 2 鍛工業として進出の余地ある家庭用器物等の生産により品種の多様化をはかる。 3 当面の滞貨融資、今後の立ち直りのために必要な資金等については、商工中金等を通じて融資の円滑化をはかる。 なお、一月末現在商工中金より一〇、三六〇千円(販売組合五、一六〇千円、メーカー組合五、二〇〇千円)を三木市の金物関係組合に融資している。 (ハ) 最近における銃砲刀剣類等による犯罪の増加の傾向にかんがみ、銃砲刀剣類等の規制を強化する必要があるので、銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正することを検討中である。 この中で現在刃物に関係するものとして検討している事項は、比較的安全なもの以外の飛出しナイフの所持の禁止及び刀剣類と同じ程度の殺傷力を有する刃物を業務その他正当な理由がなくてもち歩くことの禁止である。 このことの結果として暴力事犯の防止に対する好影響はあると考えるが、右翼テロ対策については、さらに多角的にその対策を考究しつつある。 — 池田勇人「衆議院議員田中武夫君提出刃物追放運動に伴う中小零細企業の救済に関する質問に対する答弁書」 「刃物を持たない運動」は1年間で終了したが、鉛筆削り器が普及したこともあり、その後も肥後守の生産は衰退する一方だった。2012年(平成24年)の時点では、肥後守の製造業者は「永尾駒製作所」の1社のみとなっている。「永尾駒製作所」の職人は「刃物を持たない運動」を、「零細な我々を吹っ飛ばした猛烈な運動でした」と振り返っている。
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