内容に関する批判など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 05:47 UTC 版)
1章では、標題の後にエレミヤの召命記事が続いている。『イザヤ書』6章にあるイザヤの召命記事と比較すると、彼の召命は視覚的ではなくて聴覚的なものであったことが特筆される。 1章5節では、エレミヤは「諸国民の預言者」に召命されているが、彼の預言のほとんどが南王国あるいはエルサレムに向けられていることはやや奇妙であるので、現在巻末にある諸国民への託宣は編集の段階で一箇所にまとめられたと推測する学者もいる。 2章では、『ホセア書』2章もそうであるように、神とイスラエルの関係が婚姻関係に喩えられており、さらに、出エジプト後の荒野放浪の時代は新婚時代に比せられている。ホセアからの影響は特に2章、3章において明確である。 4章5節以降では、おそらくエレミヤの初期に遡る「北からの敵」の襲来を預言した。これが実際にどの民族の来襲を指しているのかについては意見が分かれる。新バビロニア もしこれがバビロンを指すのであれば、この預言は、紀元前605年のカルケミシュの戦い以降の時代のものであると考えられる。騎馬民族スキタイであると考えられることもある。 22章24節以下では、ヨヤキン王に対しては、神が指輪にたとえられた彼を指から抜き取るといわれる。30節では、その子供はユダの王座に就くことがないと預言されているが、実際、ヨヤキン(エホヤキン)はバビロンへ捕囚となり、ユダではゼデキヤが即位した。 23章1-8節においては、ユダの回復が預言されている。この中で、ダビデの王座を継承する者については、ゼデキヤという名前の言葉遊びが見られる。これは、ゼデキヤ王に対する皮肉であるかもしれない。同様の内容は、33章14節以下にもある。 23章7節では、「このような日が来る」といわれるが、この表現は終末論的希望を表すために用いられることが多い。 24章では、捕囚民が良いいちじくに、ユダに残った者、エジプトに移住した者が悪いいちじくにたとえられている。これは、捕囚民の立場であると考えられるので、後代の加筆・編集の可能性がある。 27章はゼデキヤ王の治世の初期に語られたとされているもので、「軛(くびき)の預言」といわれる。おそらくは共同してバビロンに対する反抗を画策するためにゼデキヤのもとを訪問していた周辺諸国の使者に対する言葉を含んでいる。これは木製の軛を自分の首にはめて現れたエレミヤによって語られたものであり、バビロニアに対して反抗を企てるグループを批判し、バビロニアに対する服従を説いた。6節でエレミヤはバビロニアの王ネブカドネザルを「わたし(神)の僕」であると呼んでいる。 28章では、預言者ハナンヤとの対決が叙述されている。ハナンヤは持ち去られた神殿の祭具の奪回と捕囚民の帰還を預言した。これに対し、エレミヤは8節で過去の預言者たちが災いを預言したことに言及するが、ハナンヤはエレミヤの軛を打ち砕いた。エレミヤはいったん立ち去るが、再び現れ、砕かれた木の軛の代わりに、鉄の軛が諸国にはめられ、それらの国々はバビロニアの奴隷となると預言する。さらにエレミヤはハナンヤの死を預言し、それはその年の7月に成就したとされる。 29章には、エレミヤが捕囚民に書き送った手紙が集録されている。それは捕囚地で平和に暮らし、人口を減らさないように指示し、また、70年後の回復を預言している。 31章の救済預言では北イスラエルの民も言及されるが、ヨシヤ時代には北王国の国土回復の希望が持たれていたことを考えれば不思議ではない。エレミヤ書前半の多くの預言も北王国に対して述べられている。 31章9節では、神がイスラエルの父となり、エフライム(北王国イスラエルを表す)が神の子となると語られる。旧約聖書において神と民との関係を父子関係として描くことは実はまれであるが、『ホセア書』11章も同様に父子関係において民の対神関係を理解している。ヤコブが一般的には北王国に関連付けられるにもかかわらず、ユダがヤコブとばれていることは『第二イザヤ書』と共通する(これに対し、『アモス書』7章では、北王国イスラエルがヤコブと呼ばれている)。29節では、先祖の行為の報いを子孫が受けるという趣旨のことわざが否定されるべき見解として引用されているが、全く同様のことわざがエゼキエル書18章2節でも否定されるべき見解として引用されている。 31-34節は、律法が心の中に記され内面化されるという内容の救済預言であり、「新しい契約」と呼ばれる。現在の形態においては基本的にC(申命記的な様式に良く似た散文の説教)として分類されることが多い。 32節において、それ以前の「シナイ契約」がイスラエルの民によって破られたことが語られるが、それに続く33節には、「契約定式」が現れている。 37章では、エジプト軍の進軍によってカルデア軍が一時撤退したことが報告されている。このとき、エレミヤはカルデア軍が必ず戻ってきてエルサレムを占領することを預言した。包囲が解けている間に、エレミヤは土地を相続するために、アナトトに行こうとするが、カルデア軍に投降しようとしたと疑われて、地下牢に監禁された。ゼデキヤはエレミヤを宮廷につれてこさせて預言を求めたが、監視の庭に拘留されることになった。 38章では、再びカルデア軍に対する投降を勧めたために役人たちによって捕らえられ、水溜に投げ込まれているが、クシュ人宦官エベド・メレクによって命を救われた。ゼデキヤはエレミヤを呼んでこさせ、彼に意見を求めている。エレミヤはここでも王に投降を勧めた。 39章によれば、ゼデキヤ王の第9年10月に包囲が始まり、第11年の4月9日にエルサレムの城壁の一部が破られた。ゼデキヤはアラバ地方へ向かって脱走を図ったが、エリコで捕らえられ、ハマト地方のバビロン王の下に連行され、目の前で王子たちを殺され、自らは両眼を抉られた上に足枷をはめられ、バビロンへ連れ去られたとされる。 40章では、エレミヤは親衛隊長ネブザルアダンによって釈放される。エレミヤがエジプトに行くことを拒否してユダに留まろうとしたことも、その土地がいずれは回復されるという希望を預言者が持ち続けていたことの傍証であるといえるであろう。 41章によれば、バビロン王はゲダルヤを総督としたが、ネタンヤの子イシュマエルによって暗殺された。 42章では、エレミヤはエジプトに下って寄留することに対する神の警告の言葉を告げるが、この言葉にもかかわらず、43章前半では、ユダの人々はエレミヤをエジプトへ連れて行ったとされる。彼はおそらく生涯をエジプトで終えたのであろう。 43章の後半には、エレミヤがエジプトで語ったとされる預言が収録されている。 44章は、エジプトにおける異教崇拝を非難する預言である。
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