人物と逸話とは? わかりやすく解説

人物と逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/28 09:18 UTC 版)

蘇瓊」の記事における「人物と逸話」の解説

北魏衛尉少卿の子として生まれた幼くして父に従い辺境にあった東荊州刺史の曹面会したとき、曹戯れに「卿は官が欲しくはないか」と訊ねた蘇瓊は「官を設けて人を求めるもので、人が官を求めるものではありません」と答えた。曹はその答え珍しく思い蘇瓊を府の長流参軍任じた高澄が儀同として府を開くと、蘇瓊召し出されて刑獄参軍となった。ときに并州強盗被害があった。長流参軍張龍がこの事件の捜査にあたり容疑者たち逮捕して拷問し、その自白基づいて家捜ししたが、盗品取り返すことができなかった。高澄蘇瓊命じて改め審問させることにした。蘇瓊は元景融ら十数人を推挙して糾明させると、真犯人摘発し盗品発見することができた。高澄大笑いし誤って犯人として拘引されていた者たちに「おまえたちはもし我が参軍出会なければ幾人も無実の罪死んでいたぞ」と語った蘇瓊南清河郡太守任じられた。郡では盗難多発していたが、蘇瓊赴任してくると、民衆官吏たちは粛然として、盗難事件跡を絶った。霊県の民の魏双成が牛を紛失し同村の魏子賓が犯人疑われて、郡までその身柄送られてきた。蘇瓊ひととおり尋問すると、魏子賓が盗人ではないと知れたので、即座に釈放した。魏双成は「府君は賊を釈放なさいましたが、百姓めの牛はどこから得たらよいのでしょうか」と訴えた蘇瓊相手にせず、ひそかに霊県を訪れて別の盗人捕まえてきた。これ以後家畜囲い込まれなくなり多く放し飼いにされて、「府君任せておけ」といわれるようになった。隣郡の富豪財物南清河郡の領内置いて盗難避けようになった盗賊襲われ富豪が「わたしの物はすでに公に寄付した」と告げると、盗賊去っていった。平原郡劉黒らによる宗教反乱があり、広範な階層人々参加し渤海沿岸広域その影響及んでいた。ところが蘇瓊統治する南清河郡の隣接するには、劉黒らの仲間はみられなかった。蘇瓊南清河郡で犯歴のある者100人あまりを側近任用していた。かれらを耳目としていたため、人間善悪長吏が人と一杯の酒を飲んだことなど、蘇瓊知らないことはなかった。 百姓の乙普明兄弟田地争い対立積年わたってお互い100人からの後援者引き連れて一触即発の状態にあった蘇瓊兄弟召し出して、「天下に得がたき者は兄弟である。求め田地交換しなさい。たとえ田地得て兄弟失ってどうしようというのだ」と衆人の前で言ってかれらをさとした蘇瓊が涙を流すと、証人たちも泣かない者はいなかった。乙普明兄弟平伏し土地交換申し出た兄弟10年別居していたが、仲直りして同居するようになった北斉天保年間、郡の境で洪水があり、被災し食糧供給絶たれ人々1000あまりにおよんだ蘇瓊郡中人々を粟家に集めて、自ら貸しつけ用の粟を飢えた人々給付した。済州徴税のときに貸しつけ用の粟のことを追求しようとした。郡の綱紀は「飢餓をあわれんだとはいえ府君に罪のおよぶことを恐れます」と蘇瓊にいった。蘇瓊は「一身が罪を得たとしても、1000家族生かしたなら、何を恨むことがあろうか」と答えた蘇瓊上表して事情申し述べると、検断免れた蘇瓊南清河郡に在任すること6年民衆敬愛された。喪に遭って職を解かれたが、旧知からの贈り物一切受け取らなかった。まもなく蘇瓊司直廷尉正として起用されたが、朝士はかれの物腰低さ嘆いた尚書辛術は「すでに直かつ正となったので、名のとおりの礼儀をおこなっているのでしょう考えていないことは説明しないものです」といった。 かつて蘇瓊南清河郡太守任じられたとき、裴献伯が済州刺史として法を濫用し残酷な統治おこなった。房延祐楽陵郡太守となり、済州立ち寄った。裴献伯が他所での評判訊ねると、房延祐は「太守評判良く刺史評判良くありません」と答えた。裴献伯が「民の評判得ている者が最も公平であるわけではないというと、房延祐は「そのとおりであれば蘇瓊黄覇や龔遂のような罪人でしょうな」と答えた。 畢義御史中丞となり、乱暴な糾弾おこなったため、疑獄審議する理官たちも忌みはばかって、その非違指摘する者もなかった。蘇瓊公平な刑事判断おこない多くの者の冤罪がそそがれた。蘇瓊三公郎中転じた趙州および清河郡南中府に謀反の罪で告発受けた者たちがいた。前後してみな蘇瓊調査を受け、その多く冤罪をそそがれた。尚書崔昂は「功名立てたければ、さらに有罪理屈組み立ててやればよいものを、たびたび反逆の罪をそそいでやるとは、ご自身をどうして大切になさらないのかな」と蘇瓊にいった。蘇瓊顔つき改めて、「無実の罪をそそぐのは、反逆放免することではない」と反論したので、崔昂大い恥じ入った。鄴の人々は「刑事裁判珍之に任せれば間違いない」と語った皇建年間蘇瓊安定県男の爵位を受け、徐州行台左丞・行徐州事となった。ときに徐州城中の五級寺で銅像100体が盗まれる被害があった。役人周辺の防宿や痕跡捜査し容疑者数十人を逮捕連行した。しかし蘇瓊容疑者一挙に釈放してしまった。被害受けた寺の僧が容疑者自由にしたことを怨んで訴えると、蘇瓊謝って、「あなたが寺に帰れば仏像おのずと送られてきますから」といった。それから10日後、犯人姓名盗品隠し場所は発覚し一網打尽にされた。犯人たちが罪を認めたことに、僧俗人々感心しきりであった旧制では淮水またいだ商売禁止されていた。ある年に淮南地方不作であったため、淮北地方の米を買いつける許可出された。後に淮北飢饉があったため、蘇瓊淮南の米を買いつける許可求め商人往復できるようにした。淮北淮南人々お互いに淮水渡れるようになり、水陸交通利便黄河の北の地方にも及ぶようになった。 後に大理卿となった北斉滅亡すると、北周仕えて博陵郡太守となった。隋の開皇初年死去した

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人物と逸話

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水口市松」の記事における「人物と逸話」の解説

性格明朗快活子供好きと伝わる。 吹き矢を得意とし、的に当て賞品得ては彼を慕う子供達プレゼントしていたという。 この項目は、日本の歴史関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

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