著名な佩刀者と逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 20:37 UTC 版)
山内容堂 -「土佐正宗」の名付け親。 乾退助 - 作刀と義侠心に惚れ込み水戸浪士隠匿を打ち明ける。のちに退助を裏切り密告して彼を窮地に落とし入れるが、明治維新後、退助に会って謝罪した。退助は「君、嘗て予を裏切りて密告の事ありしも、それ皆、国の事を思ふて出でたる事なれば陳謝するに及ばず」と云ひ、更に「君の腕 一流なりし事、予 己(すで)に之を深く知る」とかつて退助が注文して誂えた左行秀の作刀の一口を本人に見せた。行秀は退助がとうの昔に自分の作刀など棄てゝしまつてゐると思ふて居た為、大事に保管されて居るのを知り、驚き滂沱した。其後、廃刀令による苦境の中で、暫時、退助の庇護を受けて高知市中島町の家に移つた。(中略)板垣は兵器製造の職を彼に斡旋したが、行秀は「最早その身に非ず」と辞退した。 吉田東洋 -(二尺七寸)- 暗殺された時に佩刀していた刀。 坂本直方 -(二尺七寸)- 銘は「於土佐本国筑前左行秀、嘉永元年申秋応阪本直方需造焉」で、勤王派と不和になる以前の作刀。 樋口真吉 安岡正澄 小倉正治
※この「著名な佩刀者と逸話」の解説は、「左行秀」の解説の一部です。
「著名な佩刀者と逸話」を含む「左行秀」の記事については、「左行秀」の概要を参照ください。
- 著名な佩刀者と逸話のページへのリンク