功績と逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:48 UTC 版)
「ジャン=ルイ・デュポール」の記事における「功績と逸話」の解説
デュポールは今日ではおそらく現代のチェロの左手の技術が体系的に発展させられ、確立した形で収められたチェロ技巧の教則本『チェロの運指および運弓に関する試論』(1806年)によって主に知られる。また6曲のチェロ協奏曲、チェロのための練習曲集を書いている。ベートーヴェンはデュポールのために作品5の2つのチェロソナタ(第1番と第2番)を作曲した。 1812年にパリへ戻った際、デュポールはナポレオンに出くわしている。ナポレオンはデュポールが所有していたストラディヴァリウス製のチェロを使ってみようとしつつ、強い調子でこう述べた。「君は一体これをどう持つのかね、ムッシュ・デュポール?」デュポールはナポレオンが楽器を傷つけるのではないかとあからさまに恐れたが、ナポレオンは笑いながらチェロを彼の手に返したという。実際は、ナポレオンは楽器のうねに凹みを作ってしまっており、それは今日でも確認できるものと思われる。この楽器は後にオーギュスト・フランショーム、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが使用した。 モーツァルトは、デュポールのチェロソナタによる「デュポールのメヌエットによる変奏曲 K.573」を作曲した。モーツァルトは1789年にカール・アロイス・フォン・リヒノフスキーに同行する形でポツダムの離宮へ行き、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世への謁見を希望した。しかし許可は下りず、音楽総監督の兄ジャン=ピエールの前で本曲を演奏するにとどまった。
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