功績と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/03 16:01 UTC 版)
ワイナ・カパックはインカ帝国(タワンティンスウユ)を、南部では現チリ・アルゼンチンにまで広げ、北部では、現エクアドル・コロンビア南部となっているチンチャ・スウユを併合するため、何年間も戦った。彼の時代、インカ帝国は現在のコロンビア南部からチリ北部に渡る最大版図を有することとなった。遥か南には帝国の首都としてクスコがあったが、彼はキトを北部の要塞都市として確立することを望んだ。しかし彼自身はキトでなくトメバンバ(現クエンカ (エクアドル)市)を本拠地として、そこに壮麗な宮殿を建設したとする見解も存在する。 1527年頃に、彼と彼の軍のうち数千人に及ぶ者は、現コロンビア南部で天然痘かマラリアと推定されている病気に罹り、皇太子のニナン・クヨチとほぼ同時期に死亡した。
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