功績あるいは伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:11 UTC 版)
『淮南子』成立時にはすでに魯班の伝説化が進行していたらしい。 建築・彫刻・船・車・農具・鋸・鉋・墨壺・曲尺(魯尺)を手掛けたといわれるほか、『論衡』儒増篇に、木鳶の他、魯班が母親のために「木の馬車」を作ったが、乗った母は操縦する方法を知らなかったため、何処かへ行ったまま帰らなかったという伝説が引かれる。 『酉陽雑俎』では、木の鳶を作り、3つの楔を打ち込んで飛ばしていた、公輸般の父親が木鳶へ10の楔を打ち込み飛んだところ、呉まで行ってしまい、現地人に殺された、という伝説がある。ここに引かれた伝承が、「公輸般の怒りにより木像が立てられ、呉国には雨が降らなくなったが、現地人が謝罪したため大雨が降った」という、匠を讃える話になっているのを筆頭に、唐代に、仏教の施設、寺院などの、名工の作品は魯班の作ということにされ、清代の文献で、「鶏鳴山の麓の渾河にある石の柱は、その昔、魯班が橋を架けようとして、姉の意図により途中で終った残骸」という伝承が登場している。 『墨子』「魯問篇」にある、「公輸盤が木竹で鵲(凧のようなものとされる)を作った」話について、『韓非子』「外儲説左」にある、「墨子が木で鳶を作った」という話との類似点が示唆されている。 公輸盤は、巧聖先師という名前で信仰され、瓦職人・大工・左官のギルドで崇拝されていた。
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