事例と解決への試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 07:16 UTC 版)
「タコ足大学」として報道された事例と、その解決への試みを紹介する。 山形大学は全国の「タコ足大学」の事例と比較しても、鶴岡市の農学部と山形市の本部が距離的に離れ過ぎていることが指摘されていた。しかし鶴岡市と米沢市から学部存続の声が出され、当時の小杉隆文相は、全国の事例を見ても、全部のキャンパスを一緒にするのは大変なことであり、住民を理解を得ることが大切であるとコメントしている。 新潟大学も、県内各地に点在していた旧制高校や師範学校の校舎を引き継ぎついで新制大学として誕生し、新潟市西大畑(現・中央区西大畑町)に置かれたが各学部は県内に点在しタコ足大学と呼ばれた。1960年代に入ると、キャンパス整備を求める声が挙がった。当時は古い建物だけ刷新できれば良いという意見が多数派で、移転して統合しようという「キャンパス移転統合」派は少数派だった。しかしその後「キャンパス移転統合」派が増え、1965年の学園祭には「大学躍進の道はどこに--統合移転のビジョンを求めて--」というテーマが選ばれた。しかし移転統合によって大学施設を失う地方自治体から反対の声も挙がり、学生の中にも移転反対の動きが広まった。学生が研究室を占拠するなどの反対運動もあった。反対運動が続く中、1970年の教養部移転を皮切りに12年間をかけて新潟市の五十嵐地区(現・西区五十嵐)への移転を進め、1982年に教育学部の移転で統合が終了した。ただし、旧制医科大学(新潟医科大学)である医学部は、五十嵐地区には移転せず、西大畑町に隣接する中央区旭町に所在している。 信州大学では昭和30年代に「たこ足大学」の弊害を回避する試みが始まった。松本市に教養部を設け各学年の一年生を集めて教育を行うシステムが構築された。各学部にはデジタルマイクロ波送受信機、無線電波用講義室、会議室が設けられ、当時双方向に映像を流して工事や会議が出来るネットワークが昭和62年から整備された。しかし松本に教養部が設けられたのちも、他キャンパスから松本に通うことを“通松”と言ったりするなど、依然として「たこ足大学」の弊害が継続し、職員と学生は甚だ不便な思いをしている。1997年当時でもキャンパスは県内5か所に分散し、信州大学広報委員会の広報誌でも「ほかの学部で何をやっているか知らない学生も多い」という声がある。 岐阜大学はキャンパスが3か所に分散する「たこ足大学」であった。1956-1958年にかけて教育学部、工学部、農学部と本部機能を柳戸に統合した。医学部は前進となった岐阜医科大学のあった岐阜市司町に留まるが、それでも柳戸への統合が検討されている。 静岡大学は五つの基盤校が合併して設立された。創立当初は静岡市内3カ所、浜松2カ所、島田、磐田、三島にキャンパスがあり、文字通り8カ所の「タコ足大学」であった。そのため一体化教育は困難であった。特に教育学部は静岡、浜松、島田、三島に分散しており、同じキャンパスには教養教育の同級生が5人しかいないという事もあった。 神戸大学でも1960年代に学舎の点在によって「たこ足大学」として認識されていた。 広島大学も、戦後の再編当時より「たこ足大学」と呼ばれた。東広島での統合(医学部・歯学部・二部を除く)が完了するまでは、理念の共有化に障害が続いたとされる。原爆の被害や疎開もあり、戦後広島大学の施設は、広島、福山など県内6市町村11カ所に分散していた。1973年2月に移転用地が賀茂郡西条町(現東広島市)に決定した。教職員、家族、学生合わせて2万人近くの移転が必要となり、東広島は用地や用水の確保に追われた。 九州大学も「たこ足大学」とされていたが、1991年10月に福岡市西区元岡(伊都地区)への移転案がまとまった。移転案策定当時は、キャンパスが福岡市東区箱崎、同区馬出、中央区六本松、春日市(筑紫地区)の4カ所に分散していた。ただし新キャンパスの用地選定は一部の関係者しか知らされず、教員の中には突然の移転先決定に戸惑いやオープンな議論を求める声があった。また旧キャンパスの歴史ある建物を惜しむ学生の声もあった。2018年度に箱崎・六本松の伊都への移転統合が完了するものの、馬出・筑紫と旧九州芸術工科大学から引き継いだ大橋地区は移転しないのでたこ足状態が解消するとはいえないばかりか、むしろ伊都地区と他キャンパス間の交通が従来のキャンパス間と比べて不便であることから一層たこ足状態が悪化すると見ることもできる。 長崎大学も1949年の発足当時は「たこ足大学」の状態であったとされる。長崎大学は、国立学校設置法の公布によって長崎医科大学や経済専門学校など旧制学校が統合されて設立されたが、医学部と経済学部は長崎市、水産学部は佐世保市、薬学部は諫早市、学芸学部は大村市に分散しており、大学運営上甚だ不便であった。 オンタリオ州トロント郊外のバリー市に本部があるジョージアン技術大学も3つのキャンパスをもつ「たこ足大学」として紹介されている。5000人の学生が6つの学部に所属している。 高知女子大学も2つのキャンパスを持つ「たこ足大学」として紹介されている。
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