キャンパス移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 00:21 UTC 版)
1980年に、東山区今熊野の美術学部と左京区聖護院の音楽学部が、洛西ニュータウン付近の西京区大枝沓掛町に統合移転した。しかし沓掛キャンパスは郊外で交通アクセスが悪く、他大学や学外との交流に支障をきたしているほか、建物の老朽化の問題、傾斜地にあるためバリアフリー化が進まない問題などから都心への移転を模索する動きがあった。2013年3月には大学が市に対して、JR京都駅のすぐ東側の崇仁小学校跡地(約1ヘクタール)を中心とした地域への移転と、合計4ヘクタールの用地確保を求める要望書を提出しており、これを受けて2014年1月に京都市は、大学の下京区崇仁地区への移転整備と、大学転出後の洛西地区の活性化への取り組みを明らかにした。2023年秋に移転し開校する計画が公表されている。
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