キャンパス移転後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 08:23 UTC 版)
「福島県立医科大学」の記事における「キャンパス移転後」の解説
旧キャンパスは、福島市杉妻町に1952年(昭和27年)竣工以来、20年以上にわたり逐次増改築を繰り返していた。このため施設構造が複雑化・老朽化し、また図書館や体育館、各種研究所などの設置面積も狭く、不便を強いられるようになった。 1978年(昭和53年)、県と大学の代表者から成る福島県立医科大学建設委員会が発足。将来的な拡張可能性、地価負担を考慮し、ニュータウン開発が進む市南部の蓬萊団地に隣接した光が丘に新キャンパスの移転を決定した。 1984年(昭和59年)起工の建設工事は、1988年(昭和63年)に完成を迎えた。 1998年(平成10年)、それまでの附属看護学校を発展的解消し、新たに看護学部が設置された。単科医科大学が看護学部を設置する例としては日本初となるものである。2002年(平成14年)からは大学院看護学研究科が合わせて新設された。 2006年(平成18年)の公立大学法人移行後は、「総合科学教育研究センター」「医療人育成・支援センター」「トランスレーショナルリサーチセンター」の3機関を設置するとともに、医療人育成を図る文科省プログラム(後述)に取り組み、また東北地方初のドクターヘリ自主運用を開始するなど、医師不足が深刻化する福島県の医療環境の強化を目指すとしている。 2021年(令和3年)4月、理学療法士、作業療法士、診療放射線技師、臨床検査技師を養成する保健科学部を開設。
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