電気動力時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 07:47 UTC 版)
「多摩湖鉄道の鉄道車両」の記事における「電気動力時代」の解説
1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけては東京商科大学予科(現・一橋大学の小平国際キャンパス)移転後の輸送力不足に対応するため、京王電気軌道(現・京王電鉄)からいわゆる23形ボギー電動客車3両を譲り受けモハ20形モハ21 - 23号とした。 その一方で、1650号、ハ10号、およびキハ1号を廃車、ジハ101・102号を他社に譲渡し、保有車両のうちキハ1形キハ2号以外はすべて電動客車となり、ガソリン客車の走行は激減した。また、蒸気機関車の廃止にともない、国分寺駅 - 萩山駅間の蒸気動力を1934年(昭和9年)4月12日付で廃止した。 その後しばらく動きはなかったが、武蔵野鉄道に合併後の1941年(昭和16年)に、輸送力増強を目的として江ノ島電気鉄道(現・江ノ島電鉄)から4輪納涼電動客車3両を譲り受け、通常仕様に改造の上モハ15形モハ15 - 17号として多摩湖線で使用を開始した。
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