主犯Xの近況
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「名古屋アベック殺人事件」の記事における「主犯Xの近況」の解説
Xの近況については何度か報道されている。 『月刊現代』2006年7月号に掲載された元弁護人・安田好弘の話や、『共同通信社』の2008年11月29日の報道によれば、Xは1989年に名古屋地裁で死刑判決を受けてから、2人の被害者の遺族へ謝罪の手紙を書き始めた。また、岡山刑務所に収監された1997年以降は、作業賞与金(刑務作業に支払われる給与)も添えて送るようになり、2005年3月にBの父親から「頑張りなさいよ」と書かれた手紙を受け取り、それ以降も文通を行っていると報道された。殺人事件の被害者と加害者の文通は極めて異例であり、修復的司法の試みとされた。また、『西日本新聞』2009年7月6日朝刊の報道によれば、Aの遺族からの返信はないが、手紙を受け取ってもらえていることは分かっていると報道された。ただしその「遺族」の、Aとの続柄についての記述はなかったが、2018年Aの母親は手紙を「中身は毎年、同じことの繰り返し。捨てている」と断じた。 死刑廃止運動家・高田章子(「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」)と文通した際、Xは「第一審当時は『自分は死刑になるだろう』と確信しており、それに対してほとんど抵抗の気持ちはなかったばかりか『自分の人生はもう終わりだ』という諦めの心もあった。むしろ『死刑になるのならそれまで意地を張って生きてきたように潔く死んでいこう』という思いがあったし、自分の死よりも『みんなの記憶から自分が消えてしまうことの方』に抵抗があったので『どうせ自分は悪人なのだから、いっそたくさんの人の記憶に残るように思い切り潔く死んでいこう』とまで考えていた。『バカなこと』と思われるかもしれないが、自分は自分の命さえ大切にしていなかった」と述べた。これを踏まえて高田は『年報・死刑廃止2012』(インパクト出版会、2012年)に寄稿した記事にて「その後、Xが刑務所側から(被害者遺族への詫び状・作業賞与金の送付に関する)特別発信許可を得て被害者女性Bの遺族と文通を行うなど著しく矯正している姿を見てかなり驚いたが、Xの弁護人・両親や名古屋拘置所にいた死刑囚たちがそれを後押ししてくれたのだろう」と述べた。 また、受刑者Xは高田と文通した際、同じく少年時に凶悪犯罪を犯した光市母子殺害事件の少年被告人(2012年に死刑が確定)について「多くの人々は彼に反省を求め過ぎではないだろうか。もちろん彼も犯した罪の重さを理解・認識して反省しなければならないが、逮捕・起訴されてすぐにそれができるぐらいなら初めから事件を起こさない。自分も犯した罪の重大さをなかなか理解・認識できなかったどころか『死刑になるのは怖くない』とさえ思っていた」と手紙に記した。高田はこれについて『年報・死刑廃止2012』で「私はXのようなケースを知っていたから『光市事件の元少年も彼のように早く反省すべきだ』と期待していたことに気付かされた。『彼は一朝一夕で見違えるほどに更生したのではなく、長い時間をかけて獄中で考え・思い・行動し、被害者遺族を含め様々な人々との関係性も変えていく努力をしたからこそ自分自身を変えていけたのだ』と認識させられた」と述べた。 なお、『新潮45』2016年9月号に掲載された記事「『名古屋アベック殺人事件』無期懲役少年のいま」では、共同通信記者の佐藤大介が、岡山刑務所でXと面会し、現状を取材した。同記事によれば、「模範囚」として刑務所生活を送るXは、佐藤から「なぜ絶望することなく日々を生きることができるのか」と問いかけられたのに対し、「(仮釈放による)社会復帰という目標があるからです」と答えた一方で、無期懲役囚の仮釈放件数の減少や、獄中死の増加・平均収容期間の長期化により、無期懲役が「事実上の終身刑」(佐藤が取材した元刑務官の話)と化している現状についても理解しており、その上で「(仮釈放の)審査も厳しく、出るのは簡単じゃないと思います。(略)状況は厳しいのですが、必ず出られる日が来ると信じて、毎日を頑張っていこうと思っています」と佐藤に語った。佐藤は「Xは仮釈放を現実のものとして望みをつなげる数少ない無期懲役囚だが、その困難さを知らないわけではない」と記している。また、Xは2015年8月26日、運動中にクモ膜下出血で倒れ、一時は生死の境をさまよい、9か月後の2016年5月まで、刑務所外部の病院に入院していたことを佐藤に明かし、その上で「それでも生きることができたのは、私にはまだやるべき使命が残されているからだと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。命の重みを感じ、私が奪ってしまった命の重さや尊さをあらためて身をもって知りました」と語っている。Xはその後大きな後遺症を残すことなく回復し、2017年には職業訓練を受けた際、生まれて初めてパソコンを操作し簿記3級の資格を得た。 2017年12月19日、市川一家4人殺害事件(1992年発生)で死刑が確定した犯行当時19歳の少年死刑囚に対し、永山則夫(1997年8月に死刑執行)以来20年ぶりに死刑が執行された。Xは翌20日、岡山刑務所内にある工場休憩室に死刑執行を伝える新聞朝刊記事が貼り出されていたのを見てニュースを知り「ひとごととは思えなかった。生きていることへの感謝と申し訳なさを感じた」という。 事件発生からちょうど30年となる2018年2月23日、刑務所内の工場で金属部品の加工を行っているXは収監先の岡山刑務所で『中日新聞』記者と面会した。Xはこれに先立ち2018年2月19日付で、毎年続けている被害者遺族への手紙を送った。 Xは仮釈放後の目標について、高田に対し「『被害者Bの父親は高齢で体調も崩しているので、具体的に役に立てることをしたい』『自分のような犯罪を犯しそうな青少年をなくすために自分の経験を生かして相談相手になりたい』」と述べた上で、「仮釈放後の自分の生き方がその後の受刑者の仮釈放にも影響するので、社会に役立つ人間になれるように心と体を鍛えている」と述べた。高田は受刑者Xの更生について『年報・死刑廃止2012』で「『生きて償うこと』『矯正すること』は決して架空の理想像ではないことをXが実現できるように自分もサポートしたいし、彼が生き直ることを受け入れる社会であってほしい」と述べた。
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