主犯について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 12:44 UTC 版)
「熊谷男女4人殺傷事件」の記事における「主犯について」の解説
Oは小学生のころはスポーツ万能の子供だった。中学生の時には男子テニス部の主将を務めていた。その一方で、中学2年生のころからシンナー吸引を始める。また、バタフライナイフで同学年の男子生徒の左胸部と背部を刺し、怪我を負わせたことがあった。その後、友人と共に金属バットを用いた強盗致傷事件を起こして中等少年院送致となり、退院後間もなく、友人と共に傷害、恐喝事件を起こし再び中等少年院送致となった。 高校に進学するも中退し暴力団関係者と交遊を持ち、2回目の少年院送致となった後、一度暴力団に所属し幹部組員となった。 1998年(平成10年)2月23日、傷害・暴行・恐喝未遂・道路交通法違反で懲役1年6か月(執行猶予5年・保護観察付き)の有罪判決を受ける。 同6月、結婚し、長女が生まれる。 2001年(平成13年)4月18日、傷害罪で懲役6か月の実刑判決を受け執行猶予取り消し。 2002年(平成14年)10月、川越少年刑務所出所。 上記のとおり妻子が存在し、少女とは不倫関係だった。また、少女が自分に好意を寄せていることを利用し、場合によっては性風俗で働かせようと考えていた。
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