仮釈放後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 23:49 UTC 版)
「小田原一家5人殺害事件」の記事における「仮釈放後」の解説
仮出所後、Sは世話をする人間に恵まれ、東京都内の印刷会社に就職した。 一方、Sは横浜市南区庚台のアパートに居住しつつ、1982年(昭和57年)ごろからは家出中の少女X(1984年の事件当時は13歳・中学2年生)と同棲していた。しかし1984年(昭和59年)7月8日、少女Xは突然Sのアパートを飛び出し、中学時代に親しくしていた東京都杉並区在住の少女Y(当時14歳・中学3年生)を頼った。S(当時53歳)は同日10時ごろにY宅を訪れ、Xに対し「戻ってくれ」と懇願したが、Xは「歳が違いすぎる。もう別れる」と応じず、遊びに来ていたYの同級生ら5人からも詰め寄られた。これに憤激し、殺意を抱いたSは16時ごろにY宅を去ったが、明大前駅(京王帝都電鉄〈現:京王電鉄〉へ戻る途中、商店街の金物屋で登山ナイフ(刃渡り約10 cm)を購入。そして18時ごろにXを公衆電話で呼び出し、杉並区永福一丁目(明治大学和泉校舎正門前・甲州街道の歩道橋上)で、Xと連れ立ったYの2人を登山ナイフで襲い、2人に怪我を負わせる事件を起こした。Sはそのまま横浜の自宅アパートに帰宅したが、翌日(1984年7月9日)2時40分に自宅付近で高井戸警察署(警視庁)の署員に殺人未遂容疑で緊急逮捕された。そして同事件で殺人未遂罪に問われた被告人Sは、同年12月19日に東京地方裁判所刑事第15部(柴田孝夫裁判長)で懲役8年(求刑:懲役12年)の実刑判決を言い渡された。これにより仮釈放も取り消され、Sは1985年(昭和60年)末に無期懲役+懲役8年の刑で宮城刑務所に移送された。 Sのその後については明確にはわかっていないが、同事件を取材した斎藤充功 (2018) は「2009年(平成21年)2月15日23時10分ごろ、宮城刑務所で70歳代の男性受刑者が首吊り自殺した」と言及した上で、「宮城刑務所は無期懲役囚を含む長期刑の受刑者を収容しており、その受刑者は70歳代だった。この受刑者は本事件加害者のSである可能性がある」と指摘している。 事件で唯一生き残った女性(Aの長女F・事件当時19歳)は83歳となった2014年(平成26年)夏に斎藤から取材を受け、「Sが恩赦で死刑を免れた後、仮釈放後に再犯したことは知っている。Sは一度、宮城刑務所にいる際に保護司を通じて『出所したら(被害者たちの)墓参りをしたい』と連絡してきたが、自分は『仇に墓参りをしてほしくない』と断った」「(先述の)自殺した男がSだとしたら残念だ。自分の家族は虫けらのように殺されたのだから、Sも一生刑務所に入れられて苦しみ、獄死すればいい」と述べている。
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