七仏通戒偈とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 七仏通戒偈の意味・解説 

しちぶつつうかい‐げ【七仏通戒×偈】

読み方:しちぶつつうかいげ

七仏通戒の偈


七仏通誡偈

(七仏通戒偈 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 09:21 UTC 版)

七仏通誡偈(しちぶつ つうかいげ)は、仏教釈迦以前に存在したとされる6人のと、釈迦を含む7人の仏(過去七仏)が共通して説いた教えを一つにまとめたとされているであり、原始聖典中や準聖典にも見られ、原始聖典中では最古層のもの(韻文経典)として『法句経』183 偈が、古層のもの(散文聖典)では長部 14『大譬喩経』の、計 2 経に見ることができる[1]

上座部仏教および禅宗に於いて特に重んぜられ、禅宗では日常の読経にも取り入れられている。一休宗純による「諸悪莫作・衆善奉行」と大書した掛け軸が有名である他、道元は「正法眼蔵」で「諸悪莫作」の巻を設けてこの教えについて詳細に述べている。

内容

  • 諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと
  • 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
  • 自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
  • 是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

(「衆善奉行」は漢語訳によっては「諸善奉行」とすることもある。)

パーリ文

  • Sabbapāpassa akaraṇaṃ(サッバパーパッサ アカラナン)「一切の罪を犯さぬこと」
  • kusalassa upasampadā(クサラッサ ウパサンパダー)「善を具足すること」
  • sacittapariyodapanaṃ(サチッタパリヨーダパナン)「自らの心を清めること」
  • etaṃ buddhāna sāsanaṃ(エータン ブッダーナ サーサナン)「これが諸仏の教えである」

サンスクリット文

  • Sarvapāpasya akaraṇam (サルヴァパーパスヤ アカラナム)「一切の罪を犯さぬこと」
  • kuśalasya upasampadaḥ (クシャラスヤ ウパサンパダハ)「善を具足すること」
  • svacittaparyavadanam (スヴァチッタパリヤヴァダナム)「自らの心を清めること」
  • etad buddhasya śāsanam (エータッド ブッダスヤ シャーサナム)「これが(釈迦牟尼)仏の教えである」

逸話

中国の詩人・白居易は禅を好み、禅僧・鳥窠道林(鳥窠和尚)に「仏教の真髄とは何か」と問うたところ、この偈の前半を示された。白居易は「こんなことは3歳の子供でもわかるではないか」といったが、道林に「3歳の子供でもわかるが、80歳の老人でもできないだろう」とたしなめられたため、謝ったという。

これは史実ではないが、道元もこの逸話について論じており、「わかる」と「できる」とは全く異なるということを示した逸話として有名である。

脚注

  1. ^ 森祖道『パーリ文献に現われたいわゆる「七仏通誡偈」』(日本仏教学会年報、165-178、1999)

関連項目



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「七仏通戒偈」の関連用語

七仏通戒偈のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



七仏通戒偈のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの七仏通誡偈 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS