ランピオン
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ランピオン(Lampião)、本名ビルグリーノ・フェレイラ・ダ・シルバは、1897年にペルナンブーコ州ビラ・ベラで4人兄弟の長男として生まれる。シルバ家は土地を持つ農家であったが、隣のサトルニノ家はそれを遥かに上回る大土地所有者であり、シルバ家の土地がサトルニノに狙われたことで対立が激化した。ビルグリーノの父ホセは温和な性格で暴力を避けたが、1921年、サトルニノ家は地方警察の署長を買収してホセを殺害させた。父の死を切っ掛けに、ビルグリーノは三人の弟とともに地元のカンガセイロに参加する。ビルグリーノはたちまちのうちに頭角をあらわし、1922年の独立時点ではすでに50名を数える盗賊団の領袖となっていた。この当時のビルグリーノの目的はあくまでも復讐であり、略奪の対象は富豪に限られ、その際にも必要以上の殺害は行われなかった。同年、ビルグリーノは父の場所を密告した男を射殺し、翌年には警察の幹部や署長を相次いで殺害している。その際に銃をすさまじい早さで撃ち続け、周囲が真昼のように明るくなったことからビルグリーノは「大きなランプ」と渾名された。大きなランプをポルトガル語で発音すると「ランピオン」であり、それ以降ピルグリーノはランピオンを名乗る。 しかし、ランピオンの一貫した復讐者としての行動はここで途絶える。1924年にはランピオンは無差別な強盗と残虐な殺人を無意味に繰り返し、サトルニノ家への復讐は顧みられなくなった。目的を失って暴走するランピオン一家だったが、それでも1926年にはアウトローの世界から政府側の立場に回る好機があった。当時、ブラジルの連邦議員の間で地方の治安を守るため、警察や軍隊ではない治安組織を形成しようとしていた。連邦議員はランピオンをその組織に抱き込むことで、無差別略奪の停止と実行力のある武力を獲得しようとした。しかし当初はランピオンも乗り気だったこの試みは、仲介にたったシセロ神父との連絡がうまくいかず頓挫してしまう。 カンガセイロの世界に戻ったランピオンはその無差別な略奪と殺人を再開し、パライバ州、ペルナンブーコ州、アラゴアス州を荒らしまわった。特に1926年は自制を失っており、兵士や役人をも殺害して州の怒りを買い、さらには中傷が書かれた手紙に激怒して差出人と見做されたギロ家を皆殺しにした事件を起こしている。手紙が仲間の偽造であったことに気づいたのは、事件の後だった。この時期、その残虐さによってランピオンは100人以上の手下を持つに至ったが、同時に州政府にとって確実に殲滅しなければならない勢力となっていた。11月に州政府は300人の軍隊を派遣したが、ランピオンが地勢を知り尽くしたセラ・グランデ山付近での争いとなり、逆に軍隊の方が打ち破られた。それでも州当局の熱意は揺るがず、1927年から翌年にかけて、ランピオンは警察隊と軍隊に常に追い立てられた。もはや襲撃どころか息を潜めるしかできなくなり、1928年にランピオンは従来の拠点を捨て、南のバイーア州に活動を移す。しかし、ここでもランピオンは警戒されて逃げ隠れるしかなく、1930年に消息を絶つまでに襲撃したのは、小さいゆえに防備もないセルジッペ州だけだった。また最大100名を数えた手下も、この時期には兄弟を除けば5名に減少していた。 1930年、ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが軍事クーデターを起こしてブラジル大統領に就任する。統一国家の建設を目標とするその政治姿勢は独裁的で、国家の権力を強化する新憲法を成立させた。これにより、これまで地方の大土地所有者に対して弱体だった州政府も大幅に権限が強化された。また工業の発展と労働者の都市流入が激しくなる一方で、従来の商品作物に頼った大農園経済は変化の中で破滅を迎えた。カンガセイロを生み出した社会構造そのものが変わりはじめ、もはや「王国」を築き上げた大土地所有者の栄光は過去のものとなった。民衆の間からもこの時代以降、ランピオンに続く有力なカンガセイロを生み出すことはなくなった。それどころかこの時期からカンガセイロは相次いで逮捕、射殺され、急激にその数を減らしていく。大土地所有者に代わって地域社会の治安を担う州政府は、カンガセイロを撲滅の対象としていた。 1931年、ランピオンはカンガセイロ対策の進むバイーア州等の大きな州を避け、ブラジルの州としては最小の面積のセルジッペ州に活動の場を移した。ランピオンの読み通りセルジッペ州の警察機構にランピオンを捕まえる能力はなく、州政府は騒ぎを起こさない限りは黙認する姿勢をとった。ランピオンもこの状況ではあえて暴力沙汰を起こさず、地域の有力者と交流を結び、その食客のような扱いを受けた。ランピオンはセルジッペ州での生活を楽しんだが、1936年になると同様に小さな州であるアラゴアス州に拠点を移す。しかし思惑と反してアラゴアス州政府はカンガセイロ対策で周辺の州と連携しており、ランピオンはその年のうちにセルジッペ州に逃げ帰る羽目になった。だがこの時期にはそのセルジッペ州もすでにカンガセイロ対策に同調していた。1938年3月、ランピオンは食客となっていた農場主の裏切りを受けて殺害された。
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