アントニオ・シルビーノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 13:35 UTC 版)
「カンガセイロ」の記事における「アントニオ・シルビーノ」の解説
最初にカンガセイロとして有名になったのはアントニオ・シルビーノであり、1896年から1914年の長期間にわたって大農園を襲撃し続けた。シルビーノは読み書きの教養がある富農の出自だったが、殺害された家族の復讐のためにカンガセイロに参加した。シルビーノはやがて頭目となり、略奪以外にも農地の境界線策定の調停、労働者の家族の保護者として振る舞った。一躍その名が知られたのは鉄道会社が敷設を進めていた電報網への襲撃で、国家権力への抵抗者と周囲からは見做された。一方では近年の研究により、シルビーノが地元の大土地所有者の庇護下にあったことが判明している。シルビーノによる他の大土地所有者への攻撃は、権力者同士の抗争への加担でしかなく、収奪した成果の一部が貧しい者に与えられたという伝説とは異なり、雇い主の大土地所有者に納められていた。1914年に逮捕されたがそれらの事情により1937年に恩赦釈放され、カンガセイロとしては珍しく生を全うしている。このようにシルビーノの実像は「神話」とは異なっていたが、それでも襲撃先の婦人や娘には手を出さないことで知られ、貧者からの略奪も同時代のカンガセイロの中では極めて少なかったため、義賊として擁立される余地は有していた。 フリスコと妻のダダー 中央がランピオン、右が妻のマリア・ボニータ 以降、シルビーノの後にもカランゴ、モロソー、コリスコといったカンガセイロが登場するが、それらの中で最も悪名高いのが1920年代に全盛を迎えたランピオンであり、前述のモロソー、コリスコの二人はランピオンの盗賊団に吸収されている。ランピオンは最盛期には100名を超える盗賊団を率いて、ブラジル北東部を蹂躙した。
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