アントニオ・デ・アヤラ時代
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「アヤラ・コーポレーション」の記事における「アントニオ・デ・アヤラ時代」の解説
ドミンゴ・ロハスの跡は長女マルガリータ・ロハスと結婚したアントニオ・デ・アヤラ(1803-1876)が継ぎ、アントニオ・デ・アヤラは麻ロープ、石炭、染料、レンガ等にも事業を拡大し、社名をアヤラ商会に改名した。アヤラ家の母体となった蒸留所は後の1929年にラ・トンデーニャ社に買収されている。19世紀後半、アヤラ家はマニラを流れるパシッグ川に架けられたアヤラ橋(英語版)の建設に参加した。この橋は1872年に木造橋として建設されたが、1908年に鋼鉄で架けかえられてフィリピン初の鋼橋となった。アヤラ家は1888年にフィリピン初の路面電車の導入に携わった。
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