マ元帥人気
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)
「ダグラス・マッカーサー」の記事における「マ元帥人気」の解説
占領当時、マッカーサーは多くの日本国民より「マ元帥」(新聞記事、特に見出しではスペースの節約のためにこうした頭文字による略称を採る場合があり、それが読者の口語にも移植したものと考えられる)と慕われ、絶大な人気を得ていた。GHQ総司令部本部が置かれた第一生命館の前は、マッカーサーを見る為に集まった多くの群衆で賑わっていた。敗戦によりそれまでの価値観を全て否定された日本人にとって、マッカーサーは征服者ではなく、新しい強力な指導者に見えたのがその人気の要因であるとの指摘や、「戦いを交えた敵が膝を屈して和を乞うた後は、敗者に対して慈愛を持つ」というアメリカ軍の伝統に基づく戦後の食糧支援などで、日本国民の保護者としての一面が日本人の心をとらえた、という指摘があるが、自然発生的な人気ではなく、自分の人気を神経質に気にするマッカーサーの為に、GHQの民間情報教育局(CIE)が仕向けたという指摘もある。 マッカーサーとGHQは戦時中の日本軍捕虜の尋問などで、日本人の扱いを理解しており、公然の組織として日本のマスコミ等を管理・監督していたCIEと、日本国民には秘匿された組織であった民間検閲支隊(CCD)を巧みに利用し、硬軟自在に日本人の思想改造・行動操作を行ったが、もっとも重要視されたのがマッカーサーに関する情報操作であった。CIEが特に神経をとがらせていたのは、マッカーサーの日本国民に対するイメージ戦略であり、マッカーサーの存在を光り輝くものとして日本人に植え付けようと腐心していた。例えばマッカーサーは老齢でもあり前髪の薄さをかなり気にしていたため、帽子をかぶっていない写真は「威厳を欠く」として新聞への掲載を許さなかった。また、執務室では老眼鏡が必要であったが、眼鏡をかけた姿の撮影はご法度であった。写真撮影のアングルに対しては異常に細かい注文がつき、撮影はできればマッカーサー自身が、その風貌に自信がある顔、姿の右側からの撮影が要求され、アメリカ軍機関紙・星条旗新聞のカメラマンはひざまずいて、下からあおって撮影するように指示されていた。 日本人によるGHQ幹部への贈答は日常茶飯事であったが、マッカーサーに対する贈答についての報道は「イメージを損ねる」として検閲の対象になることもあった。例えば、「埼玉県在住の画家が、同県選出の山口代議士と一緒にGHQを訪れ、マッカーサーに自分の作品を贈答した」という記事は検閲で公表禁止とされている。マッカーサーへの非難・攻撃の記事はご法度で、時事通信社が「マッカーサー元帥を神の如く崇め立てるのは日本の民主主義のためにならない」という社説を載せようとしたところ、いったん検閲を通過したものの、参謀第2部(G2)部長のチャールズ・ウィロビーの目に止まり、既に50,000部印刷し貨車に積まれていた同紙を焼却するように命じている。 一方で賛美の報道は奨励されていた。ある日、第一生命館前で日本の女性がマッカーサーの前で平伏した際に、マッカーサーはその女性に手を差し伸べて立ち上がらせて、塵を払ってやった後に「そういうことはしないように」と女性に言って聞かせ、女性が感激したといった出来事や、同じく第一生命館で、マッカーサーがエレベーターに乗った際に、先に乗っていた日本人の大工が遠慮して、お辞儀をしながらエレベーターを降りようとしたのをマッカーサーが止め、そのまま一緒に乗ることを許したことがあったが、後にその大工から「あれから一週間というもの、あなた様の礼節溢れるご厚意について頭を巡らしておりました。日本の軍人でしたら決して同じことはしなかったと思います」という感謝の手紙を受け取ったとか些細な出来事が、マッカーサー主導で大々的に報道されることがあった。特に大工の感謝状の報道については、当時の日本でマッカーサーの目論見通り、広く知れ渡られることとなり、芝居化されたり、とある画家が『エレベーターでの対面』という絵画を描き、その複製が日本の家庭で飾られたりした。 しかし賛美一色ではアメリカ本国や特派員から反発を受け、ゆくゆくは日本人からの人気を失いかねないと認識していたマッカーサーは、過度の賛美についても規制を行っている。日本の現場の記者らは、その微妙なバランス取りに悩まされる事となった。そのうちに日本のマスコミは、腫れ物に触らずという姿勢からか自主規制により、マッカーサーに関する報道はGHQの公式発表か、CIEの先導で作られた外国特派員協会に所属する外国のメディアの記者の配信した好意的な記事の翻訳に限ったため、マッカーサーのイメージ戦略に手を貸す形となり、日本国民のマッカーサー熱を大いに扇動する結果を招いた。 GHQはマッカーサーの意向により、マッカーサーの神話の構築に様々な策を弄しており、その結果として多くの日本国民に、マッカーサーは天皇以上のカリスマ性を持った「碧い目の大君」と印象付けられた。その印象構築の手助けとなったのは、昭和天皇とマッカーサー初会談時に撮影された、正装で直立不動の昭和天皇に対し、開襟の軍服で腰に手を当て悠然としているマッカーサーの写真であった。
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