マ弾
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「一式十二・七粍固定機関砲」の記事における「マ弾」の解説
ホ103はマ弾と称する特殊弾を使用可能であり、そのうちマ103はAN/M2の12.7x99mm弾には無い炸裂弾(榴弾)であり着発式の信管を備えていた。マ102は焼夷炸裂弾で、信管がなく敵機命中時に炸裂し燃料タンクに対する焼夷効果を狙っていた。 実戦配備初期のマ弾は過敏な機械式信管のため、砲身内や薬室で暴発する腔発や、発射直後の早期炸裂といった事故が発生していたが、量産と並行してこれらの不具合も徐々に改良されていき、なかでも1943年(昭和18年)後半には従来の機械式信管に代わる空気式信管が陸軍のもとで新開発された。この信管は、弾頭内部に空洞を設け、空洞の先端は金属の薄板でふさがれているだけの単純な構造であり、目標に弾丸が命中すると薄板が変形し、空洞内部を圧縮した。この断熱圧縮によって信管内部の火薬が発火するという仕組みであった。海軍側も二十粍機銃弾薬と二式十三粍旋回機銃用弾薬として採用し、無撃針信管と呼称した。。 この空気式信管を使用する新型マ弾[要検証 – ノート]は(従来の複雑な機械式信管と比べ)信頼性を極度に高め暴発事故は激減、かつ信管機構の単純化・小型化により生産効率は従来比8倍となり弾頭(弾丸)にスペースができたため炸薬量も増え威力を増している(新型マ103[要検証 – ノート]を装備する一式戦と交戦したアメリカ陸軍航空軍の乗員は「20mm弾が命中した」とよく報告している)。新型マ弾[要検証 – ノート]は早くも同年末にはビルマ戦線の飛行第64戦隊など第一線部隊に広く実戦配備され、同地における12月1日の空戦では6機のB-24爆撃機を確実撃墜するなど効果を挙げている。
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マ弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
ホ103は発射速度も良好で、モデルとなったAN/M2 12.7mmにはない榴弾(炸裂弾)であるマ103が使用可能かつ、より小型軽量という長所がある一方で、軽量弱装弾のため威力や有効射程に劣るという短所もあった。初期はマ103の機械式信管の不具合により、弾丸が砲身内で破裂して機体を破損するケース(腔発)が多発しており、このため、初期には砲身に鉄板を巻くことで腔発時の被害を少しでも軽減する措置がとられた。しかしながら、ホ103・マ103の量産と並行してこれらの不具合も徐々に改良されていき、1943年後半には新型マ103(新型マ弾)が実用化され同年末から早急に実戦配備されている。この新型マ103は陸軍で新開発された空気式信管を使用することにより暴発事故は激減、かつ生産効率が(従来の複雑な機械式信管と比べ)8倍に上がり、さらに信管機構が単純化されたことにより弾丸にスペースができ炸薬が増量されたため火力が増大した。当然ながら、大型で重量のある弾丸を持ち炸薬および装薬量も多い本格的な20mm榴弾と比べ、新型マ103といえど12.7mm弾にすぎない本弾薬筒の威力には限界があるものの(高威力を望む陸軍は続いてホ103をベースとする口径20mmのホ5 二式二十粍固定機関砲を開発・採用している)、実戦で新型マ103を使用する一式戦と交戦したアメリカ軍機乗員は、その破壊力から「20mm弾が命中した」とよく誤認・報告していることが確認できている。1943年12月1日、ラングーンに飛来したアメリカ軍戦爆連合82機を第64戦隊を中心とする陸軍戦闘隊が迎撃し、指揮官機たる第7爆撃航空群第493爆撃飛行隊長プランマー中佐機や第308爆撃航空群指揮官オブライエン少佐機を筆頭に6機のB-24を確実撃墜しているが(第530戦闘爆撃飛行隊の1機のP-51Aも確実撃墜、日本側の損失は2機被撃墜(戦死1名)と5機が被弾損傷あるいは不時着に止まっている)、同空戦が初陣となったのちのエース・池沢十四三伍長はこの頃から新型マ103を使用し始めたと証言している。 一式戦が搭載するホ103の装弾数は1門につき計270発で、弾種は基本的に一式曳光徹甲弾弾薬筒・マ103・マ102(マ103と同じマ弾でありこちらは焼夷弾)の3種類を各割合1で使用していた。
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