ブラジルの没落と再興とは? わかりやすく解説

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ブラジルの没落と再興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:00 UTC 版)

南アメリカの建艦競争」の記事における「ブラジルの没落と再興」の解説

ブラジル第一共和国英語版)」も参照 ブラジル主な軍艦1880年 - 1906年)年 船(種類) 年 船(種類1881年 リアシュエロ(BB) 1892年 ベンジャミン・コンスタント(Benjamin Constant,PCレプブリカRepública,PC1883年 アキダバン(BB) 1896年 アウミランテ・バロッソ(Almirante Barroso,PC1890年 アウミランテ・タマンダレ(英語版)(PC) 1898年 デオドロ(Deodoro,BB)フロリアーノ(Floriano,BB記号解: ブラジル帝国 ブラジル共和国BB: 装甲艦海防戦艦PC: 防護巡洋艦 日付進水式日付出典: Scheina, "Brazil," in Gardiner and Gray, Conway's 1906–21, pp. 403–404. 1889年クーデター英語版)でブラジル帝政打倒され、さらに1891年1893年から1894年2度海軍反乱英語版)、1893年から1895年までの共和派革命英語版)、1896年から1897年までのカヌドス戦争英語版)など戦乱重なったため、ブラジル海軍顧みられないまま艦船旧式化した。1896年時点ブラジル海軍許可され兵員数45%しか有しておらず、海軍技術発展する中、ブラジル海軍近代装甲艦1898年進水海防戦艦2隻だけだったこのように荒廃した状態の守備についてブラジル外務大臣英語版)のリオ・ブランコ男爵英語版)は「このような状況で、あなたは[...]私がどれだけ心配しているか、私の憂慮がわかるだろう。まだ(ブラジルを)守っているものはこの地に将来残っていた(帝政時期より残っている道徳の力と古い栄光である」と述べた一方アルゼンチンチリ間の協定海軍軍拡制限したが、建艦競争中に建造され艦船残された。そのため、20世紀が始まる頃にはブラジル海軍アルゼンチン海軍チリ海軍に質でも総トン数でもあけられた。ブラジルアルゼンチンの3倍、チリの5倍近く人口擁していることもあって、ブラジル政府ブラジル海軍指導的役割を果たすべきと考えた19世紀末期と20世紀初期コーヒーゴム対す需要は、ブラジルコーヒー生産ゴム景気英語版)につながった。この時期ブラジル世界コーヒー供給の8割を占め、特にサンパウロ州ミナスジェライス州リオデジャネイロ州産量多かった。この景気によりブラジル政府歳入それまでよりもはるかに高かった同時期の政治家、特にジョゼ・ゴメス・ピニェイロ・マシャド(英語版)とリオ・ブランコ男爵ブラジル大国として諸国認めさせたかったため、強力な海軍不可欠だった。 1904年12月14日ブラジル国民会議大規模な海軍軍拡計画議決した。しかし、1906年までは軍艦注文購入なされないため、リオ・ブランコ男爵中継ぎとして中古軍艦購入提案したが、受け入れられなかった。1906年までに購入すべき船の種類めぐって二派に分けられた。一派イギリスアームストロング・ホイットワース社(後にブラジルからの注文受けた)の支持を受け、少数大型艦艦隊編成すべきと主張、もう一派リオ・ブランコ男爵支持受けており、多数のより小型な艦船艦隊編成すべきと主張したリオ・ブランコ男爵支持理由として、「小型戦艦6隻があったほうがずっといい。戦闘1、2失ってもまだ4、5残って戦える。しかし3隻(の大型戦艦)は?2隻が損傷破壊されたら、もう1隻しか残らない」ことを挙げた最初小型艦派が上手であり、1905年12月30日に第1452号法が議決された。この法案では軍艦建設に4,214,550ポンド予算与え(うち1,685,820ポンド1906年使用)、小型戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻、駆逐艦6隻、水雷艇12隻、潜水艦3隻、石炭船1隻、航海練習船1隻を注文したブラジル政府は後に財政問題装甲巡洋艦注文キャンセルしたが、海軍大臣のジュリオ・セザール・デ・ノローニャ(英語版提督1906年7月23日アームストロング・ホイットワース社と注文契約締結したイギリス会社注文受けたにもかかわらず巨大支出要しアルゼンチンブラジルの関係(英語版)に悪影響与えたため、イギリスブラジル大使英語版ウィリアムH・DハガードWilliam H. D. Haggard)はブラジルの海軍拡張計画反対した。彼はそれを「虚栄心体現個人金銭上の動機合わさった結果」とみなしたアメリカブラジル大使英語版)ロイド・カーペンター・グリスコム(英語版)は1906年9月米国国務省電報送り状況大規模な建艦競争発展した場合情勢不安定化恐れがある警告したアメリカ大統領セオドア・ルーズベルト外交による解決目指しブラジル計画の中止求めた拒否された。リオ・ブランコ男爵米国要求をのんだ場合ブラジル1901年憲法英語版)で米国による内政干渉許したキューバのような無力な国になると警告した1906年11月ブラジル大統領就任したアフォンソ・ペナ(英語版)は国民会議への演説海軍軍拡支持した。彼は1月事故爆発したアキダバン、および現海軍構成する旧式艦の代替となる軍艦購入する必要性鑑みて支持したであった

※この「ブラジルの没落と再興」の解説は、「南アメリカの建艦競争」の解説の一部です。
「ブラジルの没落と再興」を含む「南アメリカの建艦競争」の記事については、「南アメリカの建艦競争」の概要を参照ください。

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