ブラジルの弩級戦艦注文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:00 UTC 版)
「南アメリカの建艦競争」の記事における「ブラジルの弩級戦艦注文」の解説
詳細は「ミナス・ジェライス級戦艦」を参照 ブラジルの小型戦艦3隻の建造が始まると、ブラジル政府は注文を再検討して戦艦の設計を変更した(このことは1913年のリオデジャネイロ建造のときもおきた)。設計変更の理由はイギリスの弩級戦艦ドレッドノートが建造から就役まで要した時間が驚くほどに少ないことだった。弩級戦艦は「単一巨砲」搭載というところが斬新であり、ブラジルの戦艦は完成する前に旧式艦化してしまったのである。 1908年9月10日、ミナス・ジェラエスの命名式と就役式。艤装が完成していなかったため、船体の重さは約9,000英トンしかなかった。 1905年に定められた軍拡の予算は弩級戦艦3隻(うち3隻目は1隻目が進水した後に起工)、偵察巡洋艦3隻(後に2隻に変更、バイーア級偵察巡洋艦となった)、駆逐艦15隻(後に10隻に変更、パラ級駆逐艦(英語版)となった)、潜水艦3隻(F 1級潜水艦)、潜水母艦2隻(後にセアラ(Ceará)という1隻に変更)の建造に振り分けられた。この動きはピニェイロ・マシャドなど政界で大きな支持を受けており、上院でほぼ全会一致で支持されたほか、新聞も味方した。海軍では大型艦を支持するアレシャンドリノ・ファリア・デ・アレンカル(ポルトガル語版)が海軍大臣に就任した。それでも、これらの変更は元の予算額を超えないことを前提としていたため、戦艦のトン数を増やすために装甲巡洋艦の注文を取り消したり、駆逐艦を減らしたりした。すでに建造が始まった戦艦3隻は1907年1月7日に放棄され、新しい弩級戦艦の設計は2月20日に承認を受けた。新聞は3月よりブラジルの軍艦注文を報じるようになり、アームストロング社は4月17日に1隻目の弩級戦艦を起工した。同年、ニューヨーク・ヘラルド、デイリー・クロニクル、タイムズの3紙が弩級戦艦3隻と巡洋艦2隻を含む全ての注文を報じた。 同時代の評論家が「世界中に最も強い戦艦」と評したブラジルの注文の同時期にはほかの数か国も同様の注文をしていた。建造中の弩級戦艦を有するのはイギリス(ドレッドノートとベレロフォン級戦艦)とアメリカ(サウスカロライナ級戦艦)についで3国目である。すなわち、ブラジルはフランス共和国、ドイツ帝国、ロシア帝国、大日本帝国など多くの列強よりも先に弩級戦艦を有する予定となった。弩級戦艦が現代の核兵器のように国際での地位を示すようになったため、弩級戦艦を注文、保有するだけで国威を発揚するようになり、国際関係にも影響した。 世界中の新聞や雑誌はブラジルという取るに足らない小国がこのような大軍を購入するわけがなく、強国の代理として弩級戦艦を購入したに間違いないと推測した。多くのアメリカ、イギリス、ドイツの出典は様々な推測を行い、アメリカ、イギリス、ドイツ、ひいては日本政府が裏で線を引いていると疑った。ワールズ・ワーク(英語版)は下記のように記述した。 世界中の外交官を悩ましている問題はブラジルがなぜあのような大きさと武装と速度を有し、イギリス以外の国の10から15年先まで進ませる獰猛なレヴィアタンがほしいかである。[...]ブラジルは戦艦がイングランドと日本のためのものであることを否認したが、諸国の海軍は戦艦がブラジル以外の政府のためのものであると疑った。戦争が勃発した場合、即座にこれらの船を確保できる政府は[...]海軍での優位を手中にする。イギリスはどれだけの弩級戦艦を有しても、小国の手に落ちないようこれらを購入しなければならないだろう。これらの艦船は国際政治に新しい問題をもたらす。艦船は小国が建設を準備している、または正しく言えば名前を貸している大艦隊の主力になる。この国際政治の新しいゲームには何らかのマキャヴェリアンの手がかかっている可能性があり、イギリス海軍本部が疑われている。しかし政治家と海軍の学生は各自にそれを推測することができる。 一方、大西洋の逆側にあるヨーロッパは英独建艦競争(英語版)の渦中にあり、イギリス海軍本部が売却など起きないと繰り返して主張したにもかかわらず庶民院は売却の可能性に悩んでいた。庶民院は1908年7月中と9月にブラジルの戦艦が仮想敵国の手に入らず(二国標準主義(英語版)が崩れる可能性があるため)、イギリス海軍を増強するために戦艦を購入する提案を検討した。これはブラジル政府が1908年3月と7月末の2度にわたって売却計画を否定したにもかかわらずである。1909年3月、海軍卿レジナルド・マッケナはドイツが建艦計画を早めて、1911年までに弩級戦艦を13隻完成させる(それまでの予想より4隻多い)と主張した。これを受けて、イギリスのマスコミと庶民院はさらに多くの弩級戦艦の建造を求めた。すでに建造されたブラジルの弩級戦艦の購入は自然と持ち上がり、マッケナが公式に購入打診の計画を進めていることを否認する羽目になった。また、マッケナは「1909年-1910年時点の優勢が大きくて、海軍本部委員会(英語版)には不安すら生じない」として、外国に売却されたとしても問題はないと主張した。 噂は飛び交ったが、ブラジル政府には戦艦を売却する計画がなかった。弩級戦艦はリオ・ブランコ男爵のブラジルの国際地位を上昇させる計画で重要な役割を演じているのであった: ブラジルはその大きな地位の重要性、世界で演じられる役割を感じるようになり、それに釣り合うよう行動した。戦艦の建造もデン・ハーグでの態度も、地位を追求する虚栄心の強い国のそれではなく、国の未来に対する公正な概念である。ルイ・バルボサ(英語版)博士が国際仲裁裁判所への代表派遣の詳細に反対したのは反米によるものではなく、ブラジルの主権が少なくとも他国の主権と等しいと考えたからであった。さらに、裁判所に派遣する代表が不公平である場合、「主権の種類」が成立してしまい、主権の平等という思想に反するとの考えによるものだった。そして、国際法や演説と同じように、ブラジルは海軍でも国の等級を示そうとした。
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