二国標準主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:28 UTC 版)
二国標準主義(The Two-Power Standard)とは、19世紀末におけるイギリス海軍の整備方針で、アルマダの海戦以降急成長し、ナポレオン戦争期に絶対的優位を確立した海軍力の具体的な数値目標として確立した概念である。すでに圧倒的優勢な勢力が更なる絶対的優位を求めて軍拡を行うというかなり特殊な事例であるが、軍備計画史上海軍力拡張を明確に謳った重要な概念であることからここに述べる。 この言葉は1889年の海軍防衛条例(Naval Defence Act)に初めて銘記される。その概要は「世界第二位のフランス海軍と同第三位のロシア海軍の戦力を合したものと同等以上の海軍力を整備する」というもので、同年の国防予算には前弩級戦艦の概念を確立したことで有名なロイアル・サブリン級8隻の建造費が一挙に計上され、それまでの単艦もしくは少数の同型艦を整備する方針から大きく転換したものとなった。 以後、イギリスの海軍力は従来に増して列強を圧倒するものとなる。この政策は新たな競争相手としてドイツ海軍が台頭してくるまで、20年にわたり維持された。
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