同時期の他国の建艦計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:26 UTC 版)
アメリカ - ダニエルズ・プラン 計画完遂の暁には、アメリカ海軍は戦艦52隻、巡洋戦艦6隻、装甲巡洋艦10隻、巡洋艦31隻、駆逐艦108隻、潜水艦175隻他を1921年までに保有することとなる。 同プランによる戦艦10隻、巡洋戦艦6隻の主力艦合計16隻は八八艦隊と同数であり、両艦隊完成の暁に対決したならばという想定もなされ、計画年度上も計画規模上もよく比較される。なおダニエルズ・プランの次の計画もほぼ同規模で構想されている。 イギリス - 対独二倍構想 従来より「二国標準主義」を掲げ、世界第2位のフランス海軍と第3位のロシア海軍を合したものと同等規模以上の海軍を整備する基本方針を掲げていた王立海軍であるが、三国協商などで仏露との外交関係が改善に向かったことと、新興ドイツ海軍の急速な成長を受け、ドイツ海軍に2倍する艦隊規模を維持する方針に転換した。折から弩級戦艦時代に突入し、従来の前弩級戦艦が一挙に陳腐化して建艦競争がリスタートされたという認識の下、ドイツ高海艦隊に倍する弩級艦・超弩級艦の整備にあたり両国の間で勃発した建艦競争は激化の一途を辿り、1年で8隻もの戦艦を建造した年度さえあったほどで、最終的には第一次世界大戦の遠因の一つにも数えられている。 大戦後は日米の勢力伸張に対応する必要が認められ、まず戦艦4隻・巡洋戦艦4隻が計画されたが、大戦により疲弊した国力で建艦競争を続けることへの懸念は軍縮会議開催の機運醸成に繋がった。 ドイツ - 艦隊法 皇帝ヴィルヘルム2世とティルピッツ海相の下でドイツ海軍は、1897年議会上程翌年成立の艦隊法により、長期的な海軍力整備に着手した。当初の計画では戦艦19隻(8隻1隊で2個戦隊+総旗艦1隻+予備2隻)を艦齢25年にて保有するという比較的穏当なものであったが、1900年の第二次艦隊法は明確にイギリスへの対抗を宣し、リスク理論に基づく戦略抑止力醸成のため、艦隊規模を戦艦38隻(4個戦隊+旗艦2隻+予備4隻)に倍増するものとなった。 1908年の第二次艦隊法第二次改訂では定数は変更ないものの戦艦の艦齢を20年に短縮し、戦力急速整備のため1908~1911年にかけての4年にわたり、毎年4隻の戦艦・巡洋戦艦を起工することが定められた。 1912年の第二次艦隊法第三次改訂では第五戦艦戦隊の新設により、戦艦定数を41隻(5個戦隊+総旗艦1隻)にまで増強した。これらの他巡洋戦艦20隻、巡洋艦40隻などを整備した結果、ドイツ高海艦隊(1907年、常備艦隊より改名)は急速な成長を遂げ、第一次世界大戦勃発直前にはイギリス海軍の6割に匹敵する世界第二位の大艦隊を整備していた。 なお艦隊法においては巡洋戦艦は大巡洋艦と規定され、建造は年1隻に抑制されていた。同時に複数の巡洋戦艦を建造できるようになるのは、大戦勃発で戦時体制に移行して後のことである。 フランス - 装甲艦28隻整備構想 英独建艦競争追随の必要性から、1900年に装甲艦28隻整備構想が打ち出された。その後の弩級艦時代到来も踏まえ、1912年には20年までに戦艦28隻、巡洋艦10隻、水雷艇52隻、潜水艦94隻他を建造することとした。 ロシア 日露戦争において海軍力の大半を消失し、大海軍国の地位から転落したロシア帝国であったが、弩級艦時代到来は再整備の良い機運となる。 1908年よりスタートした再整備計画では、1918年まで隔年毎に4隻の戦艦を起工する構想であり、最終的にバルチック・太平洋・黒海の3艦隊それぞれに戦艦8隻、巡洋戦艦4隻の主力艦合計36隻の整備を旨とした。
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