同時期のフランス軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 09:33 UTC 版)
フランス軍においても、敵陣地を一挙に攻略せんとする思想は存在していた。フランス軍総司令部が1915年4月に発布した「一般攻勢の目的と状況(第5779号文書)」は、ドイツ軍防御システムの一挙突破を追求している。この雄大な作戦構想は完遂困難であったが、第5779号文書は二つの要素で大戦後半のフランス軍戦術の基礎となった。 一つは砲兵戦術である。砲兵は単に危険地帯を渡る歩兵を支援攻撃するのみという戦前の考えは完全に捨て去られ、攻撃準備射撃を重視している。さらに、砲兵は段階的に射程を延長し歩兵が前進できるよう弾幕で防護すべしと述べており、移動弾幕射撃の萌芽が見られる。二つ目は歩兵戦術である。敵陣突撃に際し、各歩兵部隊は小隊、半小隊に分割される。突撃の第一波は敵拠点をさけて通り敵塹壕網を突破する。つづく第二波は塹壕掃討隊となって機関銃や拠点を掃討すると規定された。この戦法はドイツ軍の浸透戦術と類似する。フランス軍はこれらの変化で、第二次アルトワ戦やソンム戦で一定の戦果を得ている。
※この「同時期のフランス軍」の解説は、「浸透戦術」の解説の一部です。
「同時期のフランス軍」を含む「浸透戦術」の記事については、「浸透戦術」の概要を参照ください。
- 同時期のフランス軍のページへのリンク