ブラジルの立候補
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「2014 FIFAワールドカップ開催地決定の経緯」の記事における「ブラジルの立候補」の解説
2014 FIFAワールドカップの主催権利を最終的に獲得したブラジルは、2007年4月11日にコロンビアが立候補を取り下げた後に残っている唯一の公式候補者であった。ブラジルの立候補手続きは2006年12月13日に、当時のブラジルサッカー連盟会長リカルド・テイシェイラ によって正式に開始された。彼は東京にてCONMEBOLの会長および事務総長立ち合いのもと、立候補の書面に署名した。 2006年7月4日、FIFA会長のゼップ・ブラッターは2014ワールドカップはおそらくブラジルで開催されると述べたが、彼は以前のコメントで同国にはW杯の準備が整ったスタジアムが現時点には無いことも認めていた。9月28日、彼はブラジルのルーラ大統領と会談し、こちらが決定を下す前に同国がその能力を証明して欲しい(W杯基準のサッカー場造成を決定して欲しい)と語ったとされている。「だがボールは今ブラジルの法廷にあるのです」と彼は伝えた。2006年9月、ブラジル大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァは「我が国にはワールドカップの試合を主催するだけの条件に適うスタジアムはありません。この国に少なくとも12のスタジアムを新たに建設する必要があります」と公言して、ブラッターの意向に追従した。 開催の可能性がある都市は既にこの時点で大会準備に入っていた。 ブラジルサッカー連盟と政府高官はここ数カ月の間に多くの都市とスタジアムを見学してまわり、そして18の州がワールドカップの試合開催希望を申し入れた。 ただしFIFAの規定では最低8都市、最大10都市であるため、実際の開催都市数は大きく減らされてしまう。 2007年7月31日、ブラジルサッカー連盟の会長リカルド・テイシェイラが、ブラジルのスタジアムおよびその他の一般的インフラの改善計画に関する情報を含む文書をFIFAのブラッター会長に個人的に届けた時、ブラジルの立候補が正式なものとなった。ただし、この文書に関する詳細は不明である。 2009年5月31日、ブラジル国内12都市の競技場でワールドカップの試合を行うことがFIFA執行委員会から正式に発表された。 ブラジリア - エスタジオ・ナシオナル・デ・ブラジリア(国立競技場) ベロオリゾンテ - エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント(ミネイロン) ポルト・アレグレ - エスタジオ・ジョゼ・ピニェイロ・ボルダ(ベイラ=リオ) リオデジャネイロ - エスタジオ・ジョルナリスタ・ド・マリオ・フィーリョ(マラカナン) サンパウロ - アレーナ・デ・サンパウロ(コリンチャンス) クイアバ - アレーナ・パンタナール クリチバ - アレナ・ダ・バイシャーダ フォルタレザ - エスタジオ・ゴヴェルナドール・プラーシド・カステロ(カステロン) マナウス - アレーナ・アマゾニア ナタール - アレーナ・ダス・ドゥーナス レシフェ - アレナ・ペルナンブーコ サルヴァドール - アレーナ・フォンチ・ノヴァ ブラジルは1950 FIFAワールドカップを開催したほか、コパ・アメリカを4度(1919年,1922年,1949年,1989年)開催した経験がある。
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