ブラジルへの再転出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 13:25 UTC 版)
「オキナワ移住地」の記事における「ブラジルへの再転出」の解説
ブラジルにおけるオキナワ移住地からの再転出者は、沖縄出身のブラジル移民の血縁または地縁による呼び寄せによる。そのほとんどがサンパウロに集中している。その中でも、ビーラカロン地区(Vila Carrão、地図)、サンマテウス地区、カーザベルデ地区(Casa Verde、地図)の3地域に集団を形成している。 サンパウロのビーラカロン地区では、1957年に在ブラジルオキナワ県人会の支部としてビーラカロン支部が発足した。発足当初の会員数は27人であったが、1962年頃よりボリビアからの再移住者が増加し、1975年にはこれまでで最高の428人を記録するまでになった。琉球大学の石川友紀らが現地調査を行った1984年当時、オキナワ移住地出身者を含む沖縄出身の移民者たちで、1番多く従事していたのは縫製業であった。縫製業者の多くは沖縄県内の同郷の者を中心に集まり、多くの成功者を出していた。2番目に従事している職業として「露天での小売業」であり、縫製業と露天での小売業と合わせると全体の半数以上を占め、この2つの職業に集中していた。
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