クリチバとは? わかりやすく解説

クリチバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 05:13 UTC 版)

クリチバ
Curitiba
市旗 市章
愛称 : Ctba
位置

クリチバ市の位置(パラナ州)
位置
クリチバ
クリチバ (ブラジル)
クリチバ
クリチバ (パラナ州)
座標 : 南緯25度25分47秒 西経49度16分16秒 / 南緯25.42972度 西経49.27111度 / -25.42972; -49.27111
歴史
建設 1693年3月29日
行政
ブラジル
 地域 南部
 州 パラナ州
 市 クリチバ
地理
面積  
  市域 430.9 km2
  都市圏 15,416.9 km2
標高 934.6 m
人口
人口 (2021年現在)
  市域 1,963,726人
    人口密度   4,062人/km2
  都市圏 3,040,100人
    都市圏人口密度   210.9人/km2
その他
等時帯 UTC-3 (UTC-3)
公式ウェブサイト : Curitiba, Paraná

クリチバポルトガル語: Curitibaポルトガル語発音: [kuɾiˈtʃibɐ])は、ブラジル南部に位置する都市で、パラナ州の州都[1]

17世紀にパラナ地方において植民都市として築かれたことを起源とする。標高およそ940mという州内でも有数の高地に位置する。2021年現在の人口は約196万人であり、同国第8位の規模である。また、南部地域最大の都市である。約100km東にブラジル有数の港湾都市であるパラナグアがある。

住人の呼称や「クリチバの~」を意味するポルトガル語は「クリチバーノ (curitibano)」、女性形は「クリチバーナ (curitibana)」。

都市データ

ブラジル地理統計院(IBGE)による調査に基づく(いずれも市内のみについてのデータ)

  • 人口: 1,948,626人(2020年度)
  • 面積: 430.9km2
  • 標高: 平均934m

気候

ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候(Cfb)に属する。夏の平均気温は摂氏21度、冬は13度。

クリチバ (1961–1990年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 34.1
(93.4)
34.8
(94.6)
33.5
(92.3)
30.3
(86.5)
28.3
(82.9)
28.2
(82.8)
27.8
(82)
30.6
(87.1)
32.8
(91)
32.8
(91)
34.0
(93.2)
33.1
(91.6)
34.8
(94.6)
平均最高気温 °C°F 25.6
(78.1)
25.8
(78.4)
24.9
(76.8)
22.3
(72.1)
21.1
(70)
18.3
(64.9)
19.4
(66.9)
20.9
(69.6)
21.3
(70.3)
22.6
(72.7)
24.5
(76.1)
25.4
(77.7)
22.7
(72.9)
日平均気温 °C°F 19.6
(67.3)
19.9
(67.8)
19.0
(66.2)
16.7
(62.1)
14.6
(58.3)
12.2
(54)
12.8
(55)
14.0
(57.2)
15.0
(59)
16.5
(61.7)
18.2
(64.8)
19.3
(66.7)
16.5
(61.7)
平均最低気温 °C°F 15.8
(60.4)
16.3
(61.3)
15.4
(59.7)
12.8
(55)
10.2
(50.4)
7.8
(46)
8.1
(46.6)
9.2
(48.6)
10.8
(51.4)
12.5
(54.5)
14.0
(57.2)
15.4
(59.7)
12.4
(54.3)
最低気温記録 °C°F 8.2
(46.8)
6.8
(44.2)
3.9
(39)
−4.0
(24.8)
−2.3
(27.9)
−4.0
(24.8)
−5.2
(22.6)
−5.2
(22.6)
−5.4
(22.3)
−1.5
(29.3)
−0.9
(30.4)
3.6
(38.5)
−5.4
(22.3)
降水量 mm (inch) 165.0
(6.496)
142.1
(5.594)
126.6
(4.984)
90.0
(3.543)
99.2
(3.906)
98.1
(3.862)
89.0
(3.504)
74.5
(2.933)
115.4
(4.543)
134.2
(5.283)
123.8
(4.874)
150.1
(5.909)
1,408
(55.433)
平均降水日数 (≥0.1 mm) 17 15 16 14 14 12 12 10 12 13 13 16 164
湿度 79 80 80 79 82 76 81 79 82 82 80 82 80
平均月間日照時間 159.8 135.0 142.0 137.2 152.2 129.7 147.6 148.3 122.1 137.2 152.2 150.9 1,714.2
出典1:World Meteorological Organization[2] NOAA (sun and humidity)[3]
出典2:Weatherbase (record highs and lows)[4][出典無効]

歴史

1894年のクリチバの地図

クリチバの歴史は、1630年頃に鉱を求めて周辺で始められた入植にその起源が求められる。徐々に村落を形成し、1693年3月29日にとして認められ、パラナマツ(Araucaria angustifolia)の広大な林を有していたことから、ノッサ・セニョーラ・ダ・ルース・ドス・ピニャイス(Nossa Senhora da Luz dos Pinhais、松林を守護したもう我らが光の聖母)という名で登録された。おそらくこの名前が言いにくかったこともあり、次第にクリチバという名前で呼ばれるようになり、1721年に町の名称を正式に「クリチバ(Curitiba)」に変更する。クリチバという名の由来については有力説が2説あり、ひとつは、先住民が使っていたトゥピ語で「松 (coré) が多い(etuba)」という意味の Coré Etuba から転じたというもの、もうひとつは、やはりトゥピ語で、「大きな (yba) 松 (kurit)」という意味の Kurit Yba から転じたというものである。

2つの言語によるクリチバの綴りは20世紀初頭まで続き、ヨーロッパ式のCoritiba 、トゥピ・グアラニー語のCuritybaが併存した。(1909年に発足したクリチバを本拠地とするサッカークラブ『コリチーバFC』は伝統的な名前を維持することを理由に、現在の都市名とは違う名称で現在も継続している[5]

1842年に格上げとなり、1853年サンパウロ地方が分割されたことに伴い新設されたパラナ地方の首府となった。

周辺にそれほど金鉱を有していないことが明らかとなるにつれ、黄金を求めてきた入植者たちはミナス・ジェライス地方へと移っていった。クリチバは長い間、特にこれといった産業を持たず、牧畜が盛んな南部のリオ・グランデ・ド・スルと消費地帯であるサンパウロをはじめとする以北の地域との結節点という地理的優位性から、家畜売買とその中継地として収入を得た。1867年から移民団の受け入れが始まり、イタリア人ポーランド人ドイツ人ウクライナ人を中心に、ヨーロッパ、特に中東欧から多数の移民が流入することとなる。

1913年には、ブラジル初の大学となるパラナ大学(現在のパラナ連邦大学)が設置されるとともに、これもブラジル初となる路面電車が敷設された。

1960年代頃までは、あくまで地方都市の枠を出ない存在であったが、以後、政策的な成功も寄与して、商工業が発展し、ブラジルでも有数の富裕な都市となる。その躍進をもたらした都市計画について、その先進事例として世界中に広くその名を知られるようになった。1955年から1972年までの間、クリチバ市長エラスト・ゲルトナー氏(ローマ字:Erasto Gaertner)が1953年に亡くなる前に計画した癌治療病院、エラストゲルトナー病院が設立され、現在ブラジル国南部地域の最も大きい癌専門病院である。[6]

2014 FIFAワールドカップの開催都市の一つであった。

人口動態

IBGE(ブラジル地理統計院:Instituto Brasileiro de Geografia e Estatística)の2010年のセンサスによれば、 クリチバ市の人種構成は、白人78.8%、混血16.9%、黒人2.8%、黄色人1.4%である[1]。 東欧系移民が中心でクリチバのポーランド系移民の人口は欧州以外ではシカゴについで世界二位の規模であるとされ、ウクライナ系移民もブラジルで最大規模となっている。ユダヤ人も多くジャイメ・レルネル元市長もポーランド系ユダヤ人であった。日系人も4万人ほどいるとされサンパウロに次ぐ規模となっている。このような人種的な背景からブラジルでは最もヨーロッパ的な都市とされている。

日本との関わり

クリチバ市内の日本庭園
クリチバ市と姫路市の友情の記念碑
  • ブラジルではサンパウロに次いで日系人が多い都市であり、その数はおよそ3万人に及ぶ。前述の都市計画にも、中村ひとし(日系1世、元クリチバ市環境局長)、カシオ・タニグチ(日系2世、イプキ所長とクリチバ市長を歴任)、ルイス・ハヤカワ(日系2世、元イプキ所長)といった日系人たちが深く関わっている。カシオ・タニグチはブラジルの州都においては日系人として初の市長である(在任:1997年-2004年)。
  • クリチバ市は3つのサッカークラブチームを抱え、その内のひとつに、サッカー選手三浦知良がブラジル修行時代に一時所属したコリチーバFCがある。また、同じくアトレチコ・パラナエンセを、京セラ京セラドキュメントソリューションズ)が2005年から支援しており、同時に同チームの本拠地であるジョアキン・アメーリコ・グイマランイス・スタジアム(Estádio Joaquim Américo Guimarães)の命名権を京セラミタ・アメリカが取得し、同スタジアムは現在「京セラアリーナKyocera Arena)」という名称となっている。
  • 1984年5月14日に姫路市との間で友好都市関係を結んだ。

進出企業

主な施設と建物

クリチバの歴史的に意味のあるもののほか、都市計画などの事業を語る上で重要なもののみ取り上げる。

市内中心部

カテドラル

ノッサ・セニョーラ・ダ・ルース聖堂(Catedral Basílica Menor de Nossa Senhora da Luz)。町のランドマークとなっているゴシック様式カテドラル。市内の中心であるチラデンテス広場に位置する。その名の通り、クリチバの守護聖人である聖母マリアに捧げられている。

クリチバが村として認められたのと同じ1693年に最初の教会が建設され、現在の建物は1876年から1893年にかけて建設されたものである。当時の市の観光政策の影響もあり、1993年に大幅な修復を施され現在まで姿をとどめる。

パラナ連邦大学

1913年にパラナ大学として設立された、ブラジルで最初の大学(組織としての成立は1912年12月19日)。1946年までは単科大学だったが、1951年に連邦大学(国立大学に相当)となって以後は大学院なども備えた総合大学となる。現在は、60の学科、124の専攻、41の修士課程と26の博士課程を有する。

現在も残る建物(右写真)は1913年に建設されたものであり、市内のサントスアンドラデ広場に位置し、同市のランドマークのひとつとなっている。

11月15日通り

11月15日通り(Rua XV de Novembro)は市内中心部の歩行者専用の大通りである。都市計画を語る上では、同市の市民に文化的な意識変革をもたらした事例の象徴のひとつとして知られている。

1971年以前は車道であったが、当時の新任市長ジャイメ・レルネルの独断で通りの一区画が強制的に歩行者専用道路に変貌し、結果的にこれが通りの商店主をはじめ市民に好評を得たことから、現在は通りの多くの区画が歩行者専用道路となっており、同市で最大の繁華街を形成するにいたっている。(理由は都市の中心地は多数の自動車による大気汚染が発生しやすい為、その軽減を目的にしたとされている)

24時間通り

24時間通り(Rua 24 horas)は長さおよそ120mの通りに24時間営業の飲食店など、34の店が軒を連ねる商店街の一種。その機能を象徴するかのごとく、通りの両端には「24時間時計」が据え付けられている。パイプを組み合わせたモダンな造りで1992年に開業した。

こうした夜間も営業する商店街(飲食店街)というのはブラジルでは珍しい試みで、市民に安心して憩えるスペースを提供するだけでなく、周辺の治安悪化に対する抑止効果も期待された。

この通りは、当時の市長ジャイメ・レルネルが日本を訪れた際、夜でも賑やかな神戸三宮の繁華街を見て感心したことをきっかけに発案・建設された。

しかしながら試みは失敗に終わり、現在、商店街は閉鎖されて24時間時計のみが残っている。

主な出身者

歴代市長とイプキ所長

市長

名前 備考
1835-1838 José Borges de Macedo
1892-1894 Cândido Ferreira de Abreu
1894 Guilherme Xavier de Miranda
1895 Cyro P. Veloso
1896 Jorge Hermano Meyer
1896 Cícero Goncalves Marques
1897 Ignácio de Paula França 臨時
1897-1898 Manoel José Gonçalves 臨時
1897-1900 Cícero Gonçalves Marques
1900 Arthur de Souza Ferreira
1900-1907 Luiz Antonio Xavier
1907-1908 Antonio Rodrigues da Costa
1908-1912 Joaquim Pereira de Macedo
1912 João Antonio Xavier
1913-1916 Cândido Ferreira de Abreu
1916 João Antonio Xavier
1916 Claudino R. F. dos Santos
1917-1920 João Antonio Xavier
1920 Percy Withers
1920-1924 João Moreira Garcez
1924-1928 João Moreira Garcez
1928-1930 Eurides da Cunha
1930-1932 Joaquim Pereira de Macedo 1930年10月〜1932年1月
1932 Avelino Lopes 1932年1月〜1932年3月。市長代理
1932-1937 João Lothario Meissner 1932年2月〜1937年6月
1937 Nicolau Mader Junior 1937年6月。市長代理
1937 Aluizio França 1937年6月〜1937年9月
1937-1938 Carlos Heller 1937年9月〜1938年1月
1938 Oscar Borges 1938年2月〜1938年4月
1938-1940 João Moreira Garcez 1938年5月〜1940年7月
1940 Angelo Lopes
1940 Rozaldo Gomes de Mello Leitão 1940年9月
1940-1943 (市長不在期間)
1943-1944 Alexandre Beltrão
1945 Alô Guimarães
1945 Algacyr Munho Maeder
1946 João Macedo Souza
1947 Angelo Lopes
1947 Raul de Azevedo Macedo
1948 Ney Leprevost
1949-1951 Linneu do Amaral
1951 Amâncio Moro
1951 Ernani Santiago de Oliveira
1951 Wallace Thadeu de Mello e Silva
1951-1953 Erasto Gaertner
1953-1954 Dr. José Luis Guerra Rêgo
1954 Ernani Santiago de Oliveira
1954-1958 Ney Amintas de Barros Braga 1954年11月15日〜1958年11月15日
19558-1961 Iberê de Mattos 1958年11月15日〜1961年11月15日
1961 Erondy Silvério 1961年2月20日〜1961年3月11日
1962 Erondy Silvério 1962年8月28日〜1962年10月8日
1962-1966 Ivo Arzua Pereira 1962年11月15日〜1966年11月16日
1966 Erondy Silvério 1966年11月16日〜1966年12月1日
1966-1967 Ivo Arzua Pereira 1966年12月1日〜1967年3月14日
1967 Acyr Haffez José 1967年3月14日〜1967年3月22日。市議会議長
1967-1971 Omar Sabbag 1967年3月22日〜1971年3月15日
1971 Edgar Dantas Pimentel 1971年3月16日〜1971年3月21日。市長代行
1971-1974 ジャイメ・レルネル
1975-1979 Saul Raiz
1979-1983 ジャイメ・レルネル
1983-1985 Mauricio Fruet
1986-1988 ロベルト・ヘキオン Roberto Requião de Mello e Silva 軍政崩壊後の選挙で選ばれた最初の市長
1989-1992 ジャイメ・レルネル
1993-1996 Rafael Greca de Macedo
1997-2000 カシオ・タニグチ Cassio Taniguchi 日系人
2001-2004 カシオ・タニグチ
2005- Carlos Alberto Richa

イプキ所長

名前 備考
1965-1966 Jair Leal
1966-1967 Sady Souza
1967-1968 Luis Forte Neto
1968-1969 ジャイメ・レルネル 後のクリチバ市長、パラナ州知事
1969-1971 Clovis Milton Lunardi
1971-1972 Lubomir Ficinski Dunin
1972-1974 Rafael Bernardo Dely
1975-1978 Lubomir Ficinski Dunin 2回目
1978-1979 Carlos Eduardo Ceneviva
1979-1983 カシオ・タニグチ Cassio Taniguchi 後のクリチバ市長
1983 Osvaldo Navaro Alves
1983-1984 Alcidino Bittencourt Pareira
1983-1985 Acácio Biu
1985 Alcidino Bittencourt Pereira 2回目
1985-1986 Omar Akel
1986 Edemar Meissner
1987-1988 Adhail Sprenger Passos
1989-1994 カシオ・タニグチ 2回目
1994 Rafael Bernardo Dely 2回目
1994-1996 Mauro José Magnabosco
1997-1999 Osvaldo Navaro Alves 2回目
1999-2004 ルイス・ハヤカワ Luiz Masaru Hayakawa
2005- Clodualdo Pinheiro Junior

姉妹都市

脚注

  1. ^ curitibaの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書”. ejje.weblio.jp. 2025年1月25日閲覧。
  2. ^ World Weather Information Service - Curitiba”. World Meteorological Organization. 2014年5月2日閲覧。
  3. ^ Curitiba Climate Normals 1961–1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2014年5月2日閲覧。
  4. ^ Weatherbase: Historical Weather for Curitiba”. Weatherbase. 2014年5月2日閲覧。
  5. ^ https://www.coritiba.com.br/artigo/10/coritiba_e_curitiba
  6. ^ Hospital Erasto Gaertner, Historico Institucional(ポルトガル語)”. http://erastogaertner.com.br/pagina/historico. 2018年2月26日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

座標: 南緯25度25分 西経49度15分 / 南緯25.417度 西経49.250度 / -25.417; -49.250 (クリチバ)




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