パーソナルコンピュータウイルスの登場とは? わかりやすく解説

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パーソナルコンピュータウイルスの登場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/25 16:14 UTC 版)

コンピュータウイルスとワームの年表」の記事における「パーソナルコンピュータウイルスの登場」の解説

1981年作られElk Cloner(英語版)は、初のパーソナルコンピュータウイルスであり、初のコンピュータウイルスとされることもある。当時高校生だったリッチ・ストレンカ(英語版)がApple II向けに作ったApple II主な記憶媒体フロッピーディスクであり、Elk Clonerはそのブートセクタ利用していた。Elk Clonerは非常に広まった1983年11月フレッド・コーエンは、自己複製するコンピュータ・プログラム初めて「ウイルス」と呼んだ1984年には、コンピュータ・ウイルスを「他のプログラム書き換えて、自分自身コピーするという手法『感染』するプログラム」と定義したコンピュータ・ウイルス拡散を「感染」と初め呼んだのもコーエンである。ただしコーエンによれば、この呼び名彼のレオナルド・エーデルマン示唆したのである1983年作られた「ARF-ARF」と呼ばれたプログラムは、最初期IBM PC向けトロイの木馬一つである。このソフトは「DOSフロッピーディスク中のファイル直接ソートするプログラム」との触れ込みで、BBS配布されていた。当時IBM PC DOSは、ディスク中のファイル順番が名前順に並んでいなかったため、「ファイルソートする」という機能は非常に魅力的だった。ところがこのプログラムは、実際にディスク上のファイル消去するプログラムだった。このプログラムは、実行後にスクリーンに「ARF - ARF」という表示を残す。「ARF」はIBM PCエラーメッセージAbort, Retry, Fail?の略である。 1984年アメリカコンピュータ学者ケン・トンプソンは、チューリング賞受賞記念講演で『信用信用性に関する考察Reflections on Trusting Trust)』との題で、「ソースコード中身十分に検証してからコンパイルしたとしても、コンパイラ中に生成コード密かにバックドア埋め込むような仕掛けなされていたら、バックドアを防ぐことができない」という趣旨発表行っている。 1986年1月PC/AT互換機感染する初めてのコンピュータウイルス見つかった。これは今日Brain呼ばれており、ブートセクタ感染するタイプである。このウイルスは、19歳パキスタン人プログラマ作ったのである1986年12月ドイツハッカー組織カオス・コンピュータ・クラブにて、COMファイル感染するタイプウイルスについて発表された。翌1987年実際にIBMパソコンCOMファイル感染するウイルス発見され、後にウィーン・ウイルス(Vienna virus)と命名された。このウイルスは、後に数多く模倣品作られている。 1987年にはベルント・フィックス(英語版)がウィーン・ウイルスの対策ソフトウェア開発し、これが文書残っている最初期アンチウイルスソフトウェアであるとされる以後パーソナルコンピュータ動作する様々なコンピュータウイルス見つかった1987年ブートセクタ感染する「リーハイ・ウイルス」(アメリカ合衆国)が見つかっている。ただし、これは発見されリーハイ大学以外での感染例は見つかっていない。この他、「ストーンド・ウイルス(英語版)」(ニュージーランド)、 「Ping Pong英語版)」(イタリア)もブートセクタ感染タイプである。 1987年プログラム主要部分暗号化された初めてのウイルスCascade」が見つかっている。このウイルスは、ベルギーIBMで感染見つかったこともあり、IBMウイルス対策ソフト作り本格的に取り組むきっかけとなった日本では「1701」の名でも知られる1987年10月、エルサレム・ウイルス(英語版)が見つかっている。このウイルスは、「13日の金曜日」にすべての実行ファイル破壊するというもので、1988年には世界的な流行となった1987年11月当時IBMパソコン並んで人気があったAmigaブートセクタ感染するタイプウイルス登場し多数模倣ウイルス作られた。この少し後、スイスクラッキング会(英語版)がより巧妙なウイルスByte Bandit英語版)」を発表した1987年12月電子メール(と電話帳)を利用して広がるウイルスChristmas Tree EXEC英語版)が発生し世界中いたるところコンピュータネットワーク麻痺させた。 1988年4月ウイルス対策目的としたメーリングリスト、「VIRUS-L」が始まりジョン・マカフィーユージン・カスペルスキーなど、アンチウイルスソフト開発者参加した1988年6月草の根BBSApple II用のウイルス「Festering Hate英語版)」が発生し、やがて大きく広まった1988年11月2日ロバート・T・モリス作ったMorris worm」は、インターネット接続しているDEC VAXSun BSD UNIXといったマシンに非常に広く感染した。これは、バッファオーバーラン利用した初のウイルスとしても知られる1989年10月複数感染手法有する「Ghostball(英語版)」が発見された。 1989年発見された「WDEF」は、マッキントッシュターゲットにしたウイルス当時マッキントッシュOSディレクトリごとに「DESKTOP」という隠しファイル持っており、WDEFはこのファイル感染した。WDEFは本来はリソースタイプの一種であり、ウィンドウ形状など記録されるウイルス「WDEF」はこの「DESKTOP」が隠しファイルであること、およびマッキントッシュOSがWDEFリソース容易に作成できるよう設計されていたことを利用していた。 1989年シマンテックマッキントッシュ向けウイルス対策ソフトSAM」を発売1990年、マーク・ウォッシュバーン(Mark Washburn)は、「Cascade」を参考に、ポリモルフィックコード用いたウイルス1260英語版)」を開発した。このウイルスはいくつかの変種作られ、「カメレオン・シリーズ」として知られる1992年時限式のウイルスミケランジェロ英語版)」の感染広まったマカフィー設立者ジョン・マカフィーは、このウイルス設定されている3月6日には500台以上のコンピュータ被害に合うだろう予測したが、実際に数千台に留まった。後にマカフィーは、「予言した数字は5千〜5百万台だったが、メディア大きい方の数字ばかり強調して数字独り歩きしてしまったのだ」と語っている。 1992年コンピュータウイルス作成支援プログラムVirus Creation Laboratory英語版)が発表されたが、生成されウイルスはこのプログラム作者考えていたほどオリジナリティの高いものでは無く対策が簡単で、あまり広まらなかった。 1995年、初のマクロウイルスであるMicrosoft WordターゲットとしたConcept作られた。 1998年5月6日マッキントッシュ用のフリーアンチウイルスソフトウェアDisinfectantが、急増したマクロウイルスに対応できないとして、バージョンアップ断念した1998年9月12年前に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故ヒントにしたともいわれるチェルノブイリ見つかった

※この「パーソナルコンピュータウイルスの登場」の解説は、「コンピュータウイルスとワームの年表」の解説の一部です。
「パーソナルコンピュータウイルスの登場」を含む「コンピュータウイルスとワームの年表」の記事については、「コンピュータウイルスとワームの年表」の概要を参照ください。

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