パーソナルコンピューター(マイクロコンピューター)黎明期(1970年代〜)
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「同人ゲーム」の記事における「パーソナルコンピューター(マイクロコンピューター)黎明期(1970年代〜)」の解説
個人レベル(1人〜数人)でのコンピューターゲーム制作の歴史はパーソナルコンピューターの黎明期(1970年代末期)よりも、さらに以前のワンボードマイクロコンピューターの時代にまで遡る。 元々、個人用のコンピューターは技術者やマニア向けのプログラム製作・学習の道具であり、市販ソフトも徐々には増えて行くものの、しばらくは「プログラム制作に興味のないパーソナルコンピューターユーザー」というのは考えにくい時代であった。ゲーム制作目的の者も多く、特に『スペースインベーダー』(1978年)のブーム以降は大きく増えている。 ただし、同人ソフト・同人ゲームを名乗る自主流通系ソフトが現れるのはしばらく後のことである。 理由としては、まず業界がアマチュア制作ソフトの流通・発表を積極的に支えたため、漫画界のように「同人サークルが集まり流通ルートを切り開く」必要性が薄かったことがある。 漫画雑誌の投稿募集がほぼプロ予備軍の発掘目的であるのに対し、パーソナルコンピューター雑誌の場合は、初期の市販ソフトの乏しさを補う意味もあって、市販化を視野に入れたものから初心者でもアイデア次第で勝負になるショートプログラムまで、幅広い発表の場が用意されていた。雑誌には黎明期の4大誌(『I/O』『 月刊アスキー』 『月刊マイコン』『RAM』)や『マイコンBASICマガジン』、『MSXマガジン』などがある。 また、後に大手となったゲームメーカーも、自社のパーソナルコンピューター販売部門の顧客が開発したゲームソフトを買い取って販売したり、エニックス(現スクウェア・エニックス)のように賞金つきのゲームプログラムコンテストを開催して公募したゲームを市販するといった事業形態から始まったメーカーも多く、プロ・アマの境目自体も曖昧であった。 もっとも自主流通自体が、パーソナルコンピューター普及率の低さに加えて機種間の互換性がほとんどなかったため、紙媒体に比べると格段に難しかったという事情もある。
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