リーハイ大学
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モットー | Homo minister et interpres naturae (ラテン語) |
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モットー (英語) | Man, the servant and interpreter of nature |
種別 | 私立大学 |
設立年 | 1865 |
資金 | $1.213 billion (2015)[1] |
学長 | John D. Simon |
プロヴォスト | Patrick V. Farrell |
職員数
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1,196 |
学部生 | 4,904[2] |
大学院生 | 2,057[2] |
所在地 | アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ベスレヘム |
キャンパス | Urban and Suburban; 2,350エーカー (9.5 km2) |
スクールカラー | Seal brown and White |
ニックネーム | Mountain Hawks |
マスコット | Clutch |
NAICU | |
公式サイト | www |
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リーハイ大学(Lehigh University)は、アメリカ合衆国ペンシルバニア州ベスレヘムに立地する私立大学である。リーハイ大学は、ヒドゥン・アイビーの大学の一つに数えられる。
概略
1865年創立の私立大学である。もともとは男子校だったが、1971年に共学化が行われ、現在は女子学生が約43%を占めている。5000人程度と小規模な大学のため、日本での知名度は高くはないが、大学の合格率は約25%と難易度は高く、U.S.Newsの発表する全米大学ランキング(National Universities Rankings)では2015年に全米47位にランクしている[3]。2015年の合格率は25.5%。2015年のQS世界大学ランキングでは501-550位にランクしている[4]。
工学部は全米トップクラス。全米で人気の高い優秀校の一つで「学習と実社会は密接に関連する」との考え方から、最先端の学問研究と現場での経験を共に重視する教育を実践している。140を越える学生のクラブや団体、約25の大学対抗スポーツの存在も、社会とのつながりを重視する校風の現われの一つ[5]。
著名な出身者
- アリ・ヌアイミ:サウジアラビアの石油鉱物資源大臣、サウジアラムコ最高経営責任者
- リー・アイアコッカ:フォード社元社長、クライスラー社元会長
- マット・マクブライド:プロ野球選手。MLBのオークランド・アスレチックス所属。
- C・J・マッカラム:バスケットボール選手。NBAのニューオーリンズ・ペリカンズ所属。
脚注
- ^ “U.S. and Canadian Institutions Listed by Fiscal Year (FY) 2015 Endowment Market Value and Change in Endowment Market Value from FY 2014 to FY 2015” (PDF). National Association of College and University Business Officers and Commonfund (June 30, 2015.). 2016年9月8日閲覧。
- ^ a b “Lehigh at a Glance”. .lehigh.edu. 2011年10月30日閲覧。
- ^ Lehigh University
- ^ http://www.topuniversities.com/university-rankings/world-university-rankings/2015#sorting=rank+region=+country=+faculty=+stars=false+search=
- ^ http://www.ryugaku.ne.jp/search/data?scid=1100523
外部リンク
リーハイ大学
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NCAAでも無名であるパトリオット・リーグ(英語版)に属するリーハイ大学に進学。2009-10シーズン、国内全1年生の中でトップとなる19.1得点をマークし、同リーグ史上初となる最優秀選手賞と最優秀新人賞を同時受賞した。1年生ながらチームを同リーグの優勝に導き、2010年のNCAAトーナメントに出場。1回戦でカンザス大学に敗れたものの、26得点をマークした。 2年時には得点やリバウンドを伸ばしたが、フィールドゴール%が大きく低下したことが響きチーム成績も前年を下回った。マッカラムは同リーグの1stチームに選出されたが、最優秀選手賞はマイク・マスカラが受賞した。 3年時に再びチームをリーグ優勝に導き、2012年のNCAAトーナメントに出場。1回戦のデューク大学との試合において、ゲームハイの30得点を含む6リバウンド6アシスト2スティールをマーク。75-70で同大学を破り、第15シードだったリーハイ大学が第2シードのデューク大学を下す歴史的大金星の原動力となった。第15シードのチームが第2シードのチームを破ったのはトーナメント史上6回目の出来事だった。 上述の活躍により、2012年のNBAドラフトでの指名が確実視されていたものの、リーハイ大学に残留し最終学年を修了することを選択した。ジャーナリズムを専攻していたマッカラムはスポーティングニュースに、ドラフトを見送って進級する理由を記事にして投稿した。 2012年11月25日の試合で26得点を挙げて大学通算得点を2,226点に伸ばし、ロブ・フィースター(英語版)の2,224点を抜き、パトリオット・リーグ歴代通算得点1位に到達した。2013年1月5日の試合で左足を骨折し、同シーズンのシニアクラスアワード(英語版)の最終選考者となるなど、有望と見られていた残りのシーズンを全休した。同年5月20日、リーハイ大学を卒業しジャーナリズムの学士号を取得した。 平均23.1得点、大学通算2,361得点を挙げるなど4年間エーススコアラーとして活躍し、パトリオット・リーグ内にて2度の最優秀選手賞と3度の1stチームに輝いた。また、高校1年時に158cmだった身長は高校卒業時までには190cmとなり、大学入学時には74kgほどだった体重を最終的に88kgまで増加させた。 2019年2月25日、リーハイ大学時代に着用した背番号「3」が永久欠番になった。
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