チーム設立から1980年代までとは? わかりやすく解説

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チーム設立から1980年代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:20 UTC 版)

シアトル・シーホークス」の記事における「チーム設立から1980年代まで」の解説

1972年6月15日シアトルNFLエクスパンションチームを誘致するための組織発足2年後1974年6月4日28チーム目として設立決定同年12月5日NFLコミッショナー、ピート・ロゼールによってシアトルがエクスパンションチームのフランチャイズとなったことが発表された。翌1975年3月5日、ジョン・トンプソンがゼネラルマネージャーになった6月17日に、公募されていたチーム愛称20000人以上から1700超える名称が寄せられた。)がシーホークス決まったトンプソンミネソタ・バイキングスアシスタントコーチであったジャック・パテラを初代ヘッドコーチ起用した1976年3月30日31日に同じエクスパンションチームであるタンパベイ・バッカニアーズと共に他の26球団プロテクトされなかった選手獲得後ドラフトでは全体2位DTのスティーブ・ニーハウスを指名した。同じ年オープンしたキングドーム1976年8月1日行われたサンフランシスコ・フォーティナイナーズとの試合チーム初の試合となったシーホークスは、AFCNFCの間を2度にわたり行き来した唯一のチームである。1976年NFC西地区属したが、1シーズン終了後、バッカニアーズと入れ替わりAFC西地区属すようになった。これはNFLの元々のプランであり、こうすることですべての他球団との試合組まれた。2002年ヒューストン・テキサンズ32チーム目のフランチャイズとして加入したときに、各地区ごとのチーム数を4で統一させる際にNFC西地区属すようになった。これによってAFC西地区残った4チームデンバー・ブロンコスカンザスシティ・チーフスオークランド・レイダースサンディエゴ・チャージャーズはいずれアメリカン・フットボール・リーグAFL)からNFL加入したチームとなったこれまでAFC西地区1988年1999年NFC西地区2004年から2007年まで4年連続地区優勝果たした1983年シーズンAFCチャンピオンシップゲームまで進出2005年には1984年シーズンから2004年シーズンまで、長い間勝てなかったプレーオフ勝ち星をあげてNFCチャンピオンシップゲームにも勝利し第40回スーパーボウル出場した1976年8月26日シーホークスは、翌年ドラフト8巡目指引き換えWRスティーブ・ラージェント獲得した同年10月17日タンパベイ・バッカニアーズ破り勝利をあげ、11月7日アトランタ・ファルコンズ戦で地元での初勝利をあげた。この年は2勝12敗に終わったQBジム・ゾーンとラージェントのプレイ注目されファン足を運んだ1977年1月17日キングドームプロボウルが行われ63214人の観衆訪れた。この大会プロボウル史上初のソールドアウトとなった1977年ドラフトでは、ダラス・カウボーイズ1巡目指名譲り代わりにカウボーイズ1巡目指名3つのドラフト2巡目指名獲得した。この時カウボーイズ譲られ指名で、RBトニー・ドーセットが指名された。 1977年シーズン開幕から4連敗した後、地元にバッカニアーズを迎え30-23で勝利をあげると、その2週間後の10月30日バッファロー・ビルズ戦では負傷して4試合欠場していたゾーン復帰し4タッチダウンをあげる活躍見せてチームは56-17で勝利した。2シーズン目の1977年は5勝9敗で終えた1978年シーズン9勝7敗と初め勝ち越しシーズン終え、ラージェントはNFL2位の1168ヤード獲得した。ジャック・パテラはNFLのコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれゾーンAFCのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選出された。またオークランド・レイダースから1965年以来シーズン2勝をあげた初の対戦相手となった1979年10月29日マンデーナイトフットボール初出場した。アトランタ・ファルコンズに0-14とリードされたがその後31-28と逆転勝利おさめたが、翌週ロサンゼルス・ラムズ戦ではNFLワースト記録となるオフェンス獲得ヤードがマイナス7ヤード終わり0-24完封負け喫した。続く6試合で5勝をあげて9勝7敗でシーズン終えた1980年、4勝3敗の後、9連敗で4勝12敗に終わると翌1981年ドラフト1巡目UCLAセイフティ、ケニー・イーズリーを獲得した1981年シーズン最初の6試合で5敗したが6勝10敗で終えたスティーブ・ラージェントレシーブ1224ヤード獲得12月6日ニューヨーク・ジェッツ戦でゾーン負傷したため、先発初出場したQBデイブ・クレイグが26本中20本のパス成功させ、27-23で勝利をあげた。 ストライキ短縮され1982年シーズン開幕から2連敗したところでパテラは解任されてマイク・マコーマックが後任就任したチームは4勝5敗でシーズン終えた1983年開幕前にチャック・ノックスがヘッドコーチ就任した。6勝6敗でプレーオフ争いをしていたチーム残り4試合で3勝をあげ、初のプレーオフ出場果たしたワイルドカードプレーオフルーキーQBジョン・エルウェイ率いデンバー・ブロンコス31-7破りマイアミ・オレンジボウル行われた同じくルーキーQBダン・マリーノ率いられマイアミ・ドルフィンズを27-20で破りAFCチャンピオンシップゲーム進出したが、ロサンゼルス・レイダースに14-30と敗れスーパーボウル進出はならなかった。この年RBカート・ワーナーが、1449ヤード走り14タッチダウンをあげてAFCルーキー・オブ・ザ・イヤーに、ノックスAFCコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。 1984年クリーブランド・ブラウンズとの開幕戦33-0勝利をおさめたが、ワーナーシーズン絶望となるひざの負傷をしてしまった。ワーナー欠いたチームは、"グラウンド・チャック"と呼ばれたオフェンスから、デイブ・クレイグに率いられた"エア・ノックス"と呼ばれるオフェンススタイル変えた。8連勝含み12勝4敗でシーズン終えた第9週サンディエゴ・チャージャーズとのマンデーナイトフットボールではスティーブ・ラージェント3TDをあげた。ディフェンス相手チーム3回完封しており、第10週カンザスシティ・チーフス戦ではインターセプトリターンでの4タッチダウンをあげるなど45-0勝利したシーズン終盤連敗し地区優勝逃したが、レイダース13-7勝利し、ディビジョナルプレーオフでドルフィンズに10-31で敗れたノックスこの年もコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。 1985年連勝して連敗する繰り返しで8勝8敗に終わったこの年クレイグは3602ヤードパス獲得した1986年は5勝2敗から4連敗したが、その後5連勝10勝6敗でシーズン終えた10勝6敗でその年の第21回スーパーボウル出場果たしたデンバー・ブロンコスニューヨーク・ジャイアンツ勝利したもののプレーオフ進出逃した1987年、サプルメンタルドラフトの全体1位で1985年1986年2年連続ディック・バトカス賞に選ばれLBブライアン・ボズワースを獲得したこの年チームは9勝6敗でプレーオフ進出プレーオフ初戦ヒューストン・オイラーズオーバータイムの末20-23敗れた1988年チームオーナーのノードストラム家からケン・ベーリングにチーム売却された。11月28日ロサンゼルス・レイダースとのマンデーナイトフットボールでデイブ・クレイグは、MNF記録となる5TDパス投げた。9勝7敗でAFC西地区初優勝果たしたプレーオフ初戦シンシナティ・ベンガルズに13-21で敗れた1989年ベーリングオークランド・レイダースの元ヘッドコーチ、トム・フローレスを球団社長ゼネラルマネージャー起用した

※この「チーム設立から1980年代まで」の解説は、「シアトル・シーホークス」の解説の一部です。
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