ガザのナタンとの出会い
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「シャブタイ・ツヴィ」の記事における「ガザのナタンとの出会い」の解説
エルサレムで生まれたアブラハム・ナタン・ベン・エリシャ・ハイム・ハ=レヴィ・アシュケナジー(1643年 - 1680年)は、イェシヴァ(ユダヤ教神学校)でラビ・ヤアコブ・ハギズ(1620年 - 1674年)の指導のもとに学んだ若き賢者であった。ツヴィがエルサレムを訪れた時点でナタンとの間に何らかの接点があった可能性も否定できないのだが、現在のところ、この時期の両者の関係については何も分かっていない。しかし、ナタンがツヴィについての噂を耳にしていたことは間違いなかろう。1664年、ナタンは結婚を機にガザに転居したのだが、これを境に「ガザのナタン」と呼ばれるようになった。彼はそこで、ラビ・イツハク・ルリアの著作『ハアラアト・ハ=ニツォツォト』を中心にカバラと神秘主義を習得した。「ハアラアト・ハ=ニツォツォト」とはルリア思想の中心概念で、 世界創造のさいにケリフォト(セフィロトの対概念でいわゆる「悪の領域」)に取り残されたエン・ソフをセフィロトに戻す(修復する)こと意味している。ナタンの言葉によれば、夢の中でカバラを習得するよう神から命じられたという。そんなある日のこと、彼の夢の中にシャブタイ・ツヴィの姿が現れた。そして、「この男こそ、救世主である」という預言を受けたのである。しかしナタンは、夢の中で見た人物が実際に目の前に現れるまでは、誰にもその話をしなかった。 ナタンは後に手紙の中で、これら一連の預言について次のように述べている。 「 神はこのように言われました。「見よ、お前たちを解放する者が現れる。その名はシャブタイ・ツヴィ。彼は雄叫びを上げ、勝鬨の声を上げて敵を打ち負かす。」 」 ナタンは自らを預言者であると公言するようになった。すると、彼のもとには魂の修復を求めて大勢の民衆が集まったので、罪の悔い改めを説いた。ガザに預言者が現れたという噂は1665年にはエジプトにも届いていた。当時、魂の平安を切に望んでいたツヴィはすぐにガザへ赴いてナタンとの接触を試みた。1665年に起きたツヴィとナタンの出会いは、その後数年にわたるユダヤ人社会の混乱の序章として今日の歴史には刻み込まれている。 ナタンと出会うまでのツヴィの言動は、救世主としての立場を貫きながらも、あくまでも現実的な地位を固めるためのものであり、羽目を外した過剰なパフォーマンスでさえも実は周到に計算されたものであった。しかしナタンとの出会いによって、彼の人生は当初の思惑を超えた特異な方向へとシフトするようになる。ナタンはツヴィが真の救世主であることを確信したので、これまで決して口外しなかった預言の内容をツヴィに伝えた。このときツヴィは、ナタン・ベニヤミンに改名するようナタンに命じている。ツヴィが福音を携えてエルサレムへと向かうことになると、ナタンは書簡をしたためて救世主出現の旨を各国のユダヤ人社会に伝えた。書簡の中でナタンは、自らを預言者と紹介した上で、ツヴィにそなわる救世主としての証を次のように述べている。 イスラエルの家に生まれた兄弟たちへ。スミルナ(イズミール)の聖なる会衆のなかで救世主が誕生したことをあなたがたにお知らせします。その救世主の名はシャブタイ・ツヴィといいます。間もなく彼の王国が誕生します。彼こそが、イシュマエルの王(イスラム教国の王)から王冠を奪い取り、自らの頭上に戴冠する方です。イシュマエルの王は、あたかもカナンの奴隷のごとく救世主の後に従います。なぜなら、地上の王権のすべてはシャブタイ・ツヴィの手にあるからです。その後、救世主はイスラエルの会衆の前から姿を隠します。わたしたちには彼がどこへ行ったのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からなくなります。これはすなわち、救世主がサンバティオンの川(イスラエルの失われた10支族はこの川を渡って消息を絶ったという伝承がある)を渡ったことを意味しているのです。この行脚には永遠の眠りに就いていたわたしたちのラビ、モーセも随行します。モーセにはリベカという娘の生まれるのですが、救世主は後にこのリベカを妻に娶ります。モーセが救世主の到来を待望しているところにシャブタイ・ツヴィが現れ、ふたりでサンバティオンの川を渡ります。そこにはモーセの子とレカブの子(義人と認められたユダヤ人)、そして10支族の子(非ユダヤ人)がいます。ご存知のようにサンバティオンの川を自力で渡った人間はいまだかつて誰もいません。なぜなら、川を渡ろうとする者には巨大な石が投げつけられるからです。ただし、安息日には投石者も仕事を止めます。そこで安息日に川を渡ろうとする者もいるのですが、今度は10支族の子らに石を投げつけられるのです。彼らは、わたしたちが聖別している安息日を侮っているのだから仕方がありません。しかし、救世主シャブタイ・ツヴィとモーセの来訪となれば話は別です。10支族の子らは手を休め、救世主がすべてのユダヤ人を引き連れてサンバティオンの川を渡り終えるまで待ちます。しかし、いつものように石を投げる機会をうかがっているのです。そのとき、天の宮廷に住まう獅子が降臨します。獅子はくつわをはめられているのですが、そのくつわは七つの頭を持った蛇へと姿を変えます。くつわから解き放たれた獅子は口から炎を吐きます。すると救世主が獅子にまたがり、モーセを先頭に従えてすべてのユダヤ人をエルサレムへと導くのです。その途中、ゴグとマゴグを相手に戦います。海辺の真砂のように無数の民が、救世主と共に戦うのです。救世主の手には剣も槍もありません。彼は霊の力で敵と戦い、御言葉を用いて悪人を打ち倒し、神の御名のもとに屈服させるのです。救世主がモーセと民と共にエルサレムに入城するやいなや、神は天空にそびえたつ神殿を顕現させます。神殿は黄金と宝石によって築かれており、その輝きはエルサレムのすべての家々を照らします。そこで救世主が祭壇に生贄を捧げます。すると、エルサレムだけでなく全世界にて死者が復活するのです。これは誰にも引き伸ばすことができない、非常に切迫した出来事なのです。しかし、わたしたちはあらゆる人間にこの秘密を開示することはできません。ただ、神の御業によってユダヤ人のシオンへの帰還が果たされることを目の当たりにしてもらうしかありません。親愛なる兄弟たちよ、わたしは取り急ぎこれらのことをあなたたちに伝えましたが、それはひとえに救済の日が近いことを知ってもらうためです。ナタン・ベニヤミン・アシュケナジーより。 — 『トラト・カナウート』(ラビ・ヤアコブ・エムデン著)より引用 ナタンは救世主に関する預言を繰り返して民衆を煽った。また、ツヴィには古いゲニザ(en:Genizah)(書物の保管庫)で発見した羊皮紙の巻物の存在を明かした。もちろんナタン自らが偽造した贋作なのだが、イェフダ・ハ=ハシード(レーゲンスブルクのユダ・ベン・サムエル)の一派に属するカバリストによって13世紀に書かれた古文書であると言いくるめて信じ込ませた。その巻物には、まさに「シャブタイ・ツヴィ」という名の救世主がユダヤ暦5386年アーブの月の9日に出現する旨が預言されていた。さらには、性的虐待をはじめとした預言者がたどる運命までもが記されていたのである。この巻物にツヴィ自身が非常に感銘を受けたこともあり、ナタンはその預言内容の宣伝に躍起になった。一方、弟子たちには、救世主が到来する日になるとルリアが世界修復のために定めた祈祷をはじめ、カバラ的な内容のあらゆる祈祷が効力をなくし、より簡素な言葉が祈祷に用いられると教えた。こうしてナタンは、世界の修復を謳うルリアによるカバラ神学における世界観、あるいは反シャブタイ派の世界観に内包された矛盾を見極めながら、内省的、かつ神秘的な考察によって叡智に達する方法論を提唱するに至った。
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