ガザのナタンとの出会いとは? わかりやすく解説

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ガザのナタンとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:41 UTC 版)

シャブタイ・ツヴィ」の記事における「ガザのナタンとの出会い」の解説

エルサレム生まれたアブラハム・ナタン・ベン・エリシャ・ハイム・ハ=レヴィ・アシュケナジー(1643年 - 1680年)は、イェシヴァユダヤ教神学校)でラビ・ヤアコブ・ハギズ(1620年 - 1674年)の指導のもとに学んだ若き賢者であったツヴィエルサレム訪れた時点ナタンとの間に何らかの接点があった可能性否定できないのだが、現在のところ、この時期両者の関係については何も分かっていない。しかし、ナタンツヴィについての噂を耳にしていたことは間違いなかろう1664年ナタン結婚機にガザ転居したのだが、これを境に「ガザのナタン」と呼ばれるようになった。彼はそこで、ラビ・イツハク・ルリアの著作『ハアラアト・ハ=ニツォツォト』を中心にカバラ神秘主義習得した。「ハアラアト・ハ=ニツォツォト」とはルリア思想中心概念で、 世界創造のさいにケリフォト(セフィロト対概念いわゆる「悪の領域」)に取り残されエン・ソフセフィロトに戻す(修復する)こと意味している。ナタン言葉によれば夢の中でカバラ習得するよう神から命じられたという。そんなある日のこと彼の夢の中シャブタイ・ツヴィの姿が現れた。そして、「この男こそ、救世主である」という預言受けたのである。しかしナタンは、夢の中で見た人物実際に目の前に現れるまでは、誰にもその話をしなかった。 ナタンは後に手紙の中で、これら一連の預言について次のように述べている。 「 神はこのように言われました。「見よお前たち解放する者が現れる。その名はシャブタイ・ツヴィ。彼は雄叫び上げ勝鬨の声を上げて敵を打ち負かす。」 」 ナタンは自らを預言者であると公言するようになった。すると、彼のもとには魂の修復求めて大勢民衆集まったので、罪の悔い改め説いたガザ預言者現れたという噂は1665年にはエジプトにも届いていた。当時、魂の平安切に望んでいたツヴィはすぐにガザ赴いてナタンとの接触試みた1665年起きたツヴィナタン出会いは、その後数年にわたるユダヤ人社会混乱序章として今日歴史には刻み込まれている。 ナタン出会うまでのツヴィ言動は、救世主としての立場貫きながらも、あくまでも現実的な地位固めるためのものであり、羽目を外し過剰なパフォーマンスでさえも実は周到に計算されたものであった。しかしナタンとの出会いによって、彼の人生は当初思惑超えた特異な方向へとシフトするうになるナタンツヴィ真の救世主であることを確信したので、これまで決し口外しなかった預言内容ツヴィ伝えた。このときツヴィは、ナタン・ベニヤミンに改名するようナタン命じている。ツヴィ福音携えてエルサレムへと向かうことになると、ナタン書簡したため救世主出現の旨を各国ユダヤ人社会伝えた書簡の中でナタンは、自らを預言者紹介した上でツヴィにそなわる救世主としての証を次のように述べている。 イスラエルの家に生まれた兄弟たちへ。スミルナイズミール)の聖なる会衆のなかで救世主誕生したことをあなたがたお知らせます。その救世主の名はシャブタイ・ツヴィいいます間もなく彼の王国誕生します。彼こそが、イシュマエルの王(イスラム教国の王)から王冠奪い取り、自らの頭上戴冠する方です。イシュマエルの王は、あたかもカナン奴隷のごとく救世主の後に従います。なぜなら、地上王権のすべてはシャブタイ・ツヴィの手にあるからです。その後救世主イスラエル会衆の前から姿を隠しますわたしたちには彼がどこへ行ったのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からなくなります。これはすなわち、救世主がサンバティオンの川(イスラエルの失われた10支族はこの川を渡って消息を絶ったという伝承がある)を渡ったことを意味しているのです。この行脚には永遠の眠りに就いていたわたしたちラビモーセ随行します。モーセにはリベカという娘の生まれるのですが、救世主は後にこのリベカを妻に娶ります。モーセ救世主到来待望しているところにシャブタイ・ツヴィ現れふたりでサンバティオンの川を渡ります。そこにはモーセの子とレカブの子義人認められユダヤ人)、そして10支族の子(非ユダヤ人)がいます。ご存知のようにサンバティオンの川を自力渡った人間いまだかつて誰もいません。なぜなら、川を渡ろうとする者には巨大な石が投げつけられるからです。ただし、安息日には投石者も仕事止めます。そこで安息日に川を渡ろうとする者もいるのですが、今度10支族の子らに石を投げつけられるのです。彼らは、わたしたち聖別している安息日侮っているのだから仕方がありません。しかし、救世主シャブタイ・ツヴィモーセ来訪となれば話は別です。10支族の子らは手を休め救世主すべてのユダヤ人引き連れてサンバティオンの川を渡り終えるまで待ちます。しかし、いつものように石を投げ機会うかがっているのです。そのとき天の宮廷住まう獅子降臨します。獅子はくつわをはめられているのですが、そのくつわは七つの頭を持ったへと姿を変えます。くつわから解き放たれ獅子は口から炎を吐きます。すると救世主獅子またがりモーセ先頭従えてすべてのユダヤ人エルサレムへと導くのです。その途中ゴグとマゴグ相手戦います海辺真砂のように無数の民が、救世主と共に戦うのです。救世主の手には剣ももありません。彼は霊の力で敵と戦い御言葉用いて悪人打ち倒し、神の御名のもとに屈服させるのです。救世主モーセと民と共にエルサレム入城するやいなや、神は天空そびえたつ神殿顕現させます神殿黄金宝石によって築かれており、その輝きエルサレムすべての家々照らします。そこで救世主祭壇生贄捧げます。すると、エルサレムだけでなく全世界にて死者復活するのです。これは誰にも引き伸ばすことができない、非常に切迫した出来事なのです。しかし、わたしたちあらゆる人間にこの秘密開示することはできません。ただ、神の御業によってユダヤ人シオンへの帰還果たされることを目の当たりにしてもらうしかありません。親愛なる兄弟たちよ、わたしは取り急ぎこれらのことをあなたたち伝えましたが、それはひとえに救済の日が近いことを知ってもらうためです。ナタン・ベニヤミン・アシュケナジーより。 — 『トラト・カナウート』(ラビ・ヤアコブ・エムデン著)より引用 ナタン救世主に関する預言繰り返して民衆煽ったまた、ツヴィには古いゲニザ(en:Genizah)(書物保管庫)で発見した羊皮紙巻物存在明かした。もちろんナタン自らが偽造した贋作なのだが、イェフダ・ハ=ハシード(レーゲンスブルクのユダ・ベン・サムエル)の一派属すカバリストによって13世紀書かれ古文書であると言いくるめて信じ込ませた。その巻物には、まさに「シャブタイ・ツヴィという名の救世主ユダヤ暦5386年アーブの月の9日出現する旨が預言されていた。さらには性的虐待をはじめとした預言者がたどる運命までもが記されていたのである。この巻物ツヴィ自身が非常に感銘受けたこともあり、ナタンはその預言内容宣伝躍起になった。一方弟子たちには、救世主到来する日になるとルリア世界修復のために定めた祈祷をはじめ、カバラ的な内容あらゆる祈祷効力をなくし、より簡素な言葉祈祷用いられる教えた。こうしてナタンは、世界修復謳うルリアによるカバラ神学における世界観、あるいは反シャブタイ派世界観内包され矛盾見極めながら、内省的、かつ神秘的な考察によって叡智達す方法論提唱する至った

※この「ガザのナタンとの出会い」の解説は、「シャブタイ・ツヴィ」の解説の一部です。
「ガザのナタンとの出会い」を含む「シャブタイ・ツヴィ」の記事については、「シャブタイ・ツヴィ」の概要を参照ください。

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