アヘン研究と罌粟栽培
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周蔵の特務としての主な任務は罌粟栽培とアヘン(特にモルフィン純度の高い特殊アヘン)製造である。 特務となった周蔵に対する上原勇作からの最初の指令は、諜報活動を行うにあたって海外視察の名目でパスポートが取りやすい技師の資格を得るために、東亜鉄道学院(現:開新高等学校)に入学して修了まで席を置くことであった。上原はこの入学指令以外にもう1つ指令を与えており、それがアヘン研究である。 大正元年(1912年)10月に東亜鉄道学院の2学年に編入した周蔵は、教科内容のレベルの低さで月に1〜2度登校するだけになった為、寮を出て出水の加藤邑邸に下宿しながら、もう1つの指令「アヘン研究」に着手することとした。 大正2年(1913年)1月より熊本医学専門学校麻薬研究部の無給助手として通い始め、アヘン研究と罌粟栽培の準備を開始。同年3月に種を蒔き、同年5月に初収穫。作付面積五反歩(約5000㎡)に対して僅か二十匁(70g)弱の収穫であったが、上原からは4月13日の面会時に三百円(現在の価値で200万円超)、初収穫のアヘンを届けた6月6日に今後の活動費と合わせて千円(現在の価値で約800万円)を渡されている。 兄事する加藤邑から薬用植物は雪を受ける土地のものが良いと聞いた周蔵は、罌粟の栽培地を東北・北海道に展開すると決め、4月13日の上原との面会時にこれを説明。翌14日に上原から紹介された若松安太郎に会う。安太郎は上原から周蔵の立場を聞いているとの事で、北海道開拓事業を行なっている安太郎の父・若松忠次郎と相談の上、後日熊本に訪ねてくる事となった。安太郎は4月中に熊本に訪れ、周蔵が6月に北海道に行く事としたが、周蔵が函館の若松家を訪れたのは7月となった。北海道の調査ではたいした収穫は得られなかったが、若松安太郎は偉人だと、周蔵は手記に記している。 同じ頃、周蔵は鉄道学校の修了試験を1年繰り上げて受験し、1番で通過。5科目中4科目が満点で、国語だけ6点落としたという。手記には更に「退学願出すも 修了免状を与えらる」とある。 大正3年(1914年)2月に2年目となる罌粟栽培を開始。その春、周蔵は祖母ギンヅルから「一人前と見て良いかの肝試し」と称して、渡辺ウメノから罌粟に関わる書物を貰ってくるよう指示される。ウメノを訪ねた周蔵が辿り着いた先は京都綾部の大本教教祖の住まいであった。周蔵がギンヅルの名前を出すと、ウメノは「哲長によう似ておる」と言って周蔵に書物と罌粟の種を渡した。周蔵はこの罌粟の種を「津軽より小粒で黒種もあったが この家の貴重品であったらしい。乗り移りの行事にはかかせない薬とのこと」と記している。書物については「自白利用の手引書」とし「あの中から延命用としてのケシの極意の箇所だけは写し取った」としている。この時、周蔵が受け取った罌粟の種は、通常11%であるモルフィン(モルヒネ)含有量が90%もあり、寿命を延ばすことに有用なアヘンとなる特殊罌粟の種だった。この特殊罌粟は周蔵自身と、北海道雨竜郡に移り樺太・宗谷・帯広周辺で栽培してくれる事になった熊本医専助手時代からの協力者・阪井とで栽培する事となる。 同年5月、1期目として作付面積四町歩(約4ヘクタール)から百匁(375g)のアヘンを収穫。同年6月、兄事していた加藤邑が死去。 7月3日、周蔵は東京司令部にいる上原に収穫したアヘンを届け、1年間の活動猶予を請う。猶予の理由を問われた周蔵は、3〜5年後に二貫目(7.5kg)のアヘンを収穫したいため、これまでの協力者の紹介を訪ねて土地と更なる協力者と医者を確保したいと上申。上原はこれを了承した。 周蔵は2期目の収穫(四町歩から六十二匁(約230g))を終えた後、10月から視察を開始。大正4年(1915年)春まで北海道と東北の各地を回り、各地の有力者から罌粟栽培の協力を取り付けた。この年のアヘンの収穫量は四百匁(1.5kg)となった。 大正5年(1916年)6月から大正6年(1917年)6月まではABO式血液型分類法の入手のため渡欧。大正6年(1917年)9月、アヘン研究を隠す表看板として癲狂院の派出所(精神カウンセラー)「救命院」を東京府豊多摩郡中野町小淀に開設し、まもなく野方村上高田にも分院を開設した。また、若松安太郎の縁者・藤根大庭から勧められた北沢の煙草小売店を三千円で購入。10月にはアヘン代金のロンダリングとして、この煙草小売店から久原鉱業の売店に煙草を卸す商談を久原房之助と行ない、取引を開始。この年、北海道の阪井が上京して届けた特殊アヘンは九貫目(33.75kg)であった。 大正7年(1918年)4月、若松安太郎から紹介された薬学者・阿久津卯吉と「阿久津製薬」を設立。
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