「宇宙航行の主席理論家」とは? わかりやすく解説

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「宇宙航行の主席理論家」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 00:24 UTC 版)

ムスチスラフ・ケルディシュ」の記事における「「宇宙航行の主席理論家」」の解説

1947年兵器省の主導行われていたソ連ロケット開発に、科学アカデミー協力することが決定。ケルディシュも、ロケット開発中心だった第88研究所訪れその活動に強い興味持った。ケルディシュが所長となった第1研究所は、かつて反動推進研究所であった頃にロケット研究担っていたが、その後改名改組が相次ぎロケット開発から航空機エンジン開発転向していた。ケルディシュは、第1研究所ロケット研究再建すべく、広く人材集め始めた数学研究所自身率い部門にも、意欲的な若手研究者を集め、その集団は陰で「ケルディシュ少年団」と呼ばれていたまたケルディシュは、第88研究所英語版)の顧問となり、そこでセルゲイ・コロリョフ知り合う。ケルディシュとコロリョフ協力体制築きコロリョフ設計部門、ケルディシュが研究部門指導者として、二人三脚ソ連ロケット開発宇宙開発牽引してゆくことになる。 第1研究所ではまず、有翼ロケット製作上の課題取り組んだ。後にブーリャとして実用化される大陸間弾道弾のために、ケルディシュは弾頭の熱防御自動制御弾道学天測航法問題解決する研究指揮をとり、宇宙開発で重要となる技術開発基礎作った大陸間弾道ミサイル完成は、ラヴォーチキン設計局ミャスィーシチェフ設計局中心となって成し遂げられたが、部局間の調整とりまとめ果たしたケルディシュの役割大きかったといわれる1948年頃からは、科学アカデミー数学研究所でケルディシュが部長務め力学部、後には応用数学部、応用数学研究所で、ロケット宇宙飛行力学について重要な計算を行う仕事着手した。その初期成果は、多段ロケット適切な構成仕様分析決定として結実しコロリョフR-7ロケット最終的な構成決定役立った衛星軌道からの弾道降下や、受動的な姿勢安定化機構研究行われスプートニク計画ヴォストーク計画成功貢献したロケットの開発責任者会議参画するようになっていたケルディシュは、1954年コロリョフから人工衛星構想打ち明けられると、その構想賛同し科学アカデミー人工衛星計画賛成でまとめ上げた。その年の内に、人工衛星計画オブエクトD」(後のスプートニク3号)を立案すると、翌年には計画監督する科学アカデミー内の委員会委員長就任人工衛星計画とりまとめ当たったオブエクトDの製作は難航し大幅に機能縮小した「最も簡易なスプートニク」(スプートニク1号)が先に打ち上げられ世界初人工衛星となった。ケルディシュは当初観測装置持たず科学的な意義の薄いスプートニク1号難色示していたが、スプートニク1号衛星軌道投入成功したのは、ケルディシュの指揮数学研究所応用数学部が人工衛星課題解決取り組んだ成果でもあった。また、打ち上げ成功すると、応用数学部で衛星追跡軌道予測行い電子計算機用いた軌道決定法を開発した。このことは、後の惑星間探査機でも飛行計画軌道決定活かされた。 ケルディシュは、月・惑星探査にも強い関心持っており、スプートニク1号成功追い風にして、コロリョフと共にソビエト連邦共産党中央委員会から月探査計画承認取り付けルナ計画始まった。ケルディシュとコロリョフは、並行して火星金星飛行するための弾道計算にも着手した。ケルディシュとその指揮する数学研究所応用数学部では、宇宙機弾道設計航法支援始めとして、惑星間空間航行必要なあらゆる領域での様々な問題に、電子計算機用いた計算手法開発含めて取り組んだ。ケルディシュらが実行した弾道計算は、エレクトロンプロトンといった人工衛星運用などにも活かされた。 1959年には、ケルディシュは科学アカデミーにおける宇宙研究に関する全部科学技術評議会議長指名されソ連宇宙科学発展の要として重責を担うことになった。この役目は、後に科学アカデミー総裁就任して多忙極めた時期継続しマルス計画ベネラ計画における探査機開発と計画実現指揮したこのように、ケルディシュはソ連宇宙計画において最も重要な指導者一人であったが、大陸間弾道ミサイル配備と密接に関わりアメリカとの熾烈な宇宙開発競争核心にあったケルディシュの仕事機密情報であり、一般に向けては「宇宙航行の主席理論家」としか伝えられなかった。ロケットの開発責任者会議でしばしばケルディシュと同席したボリス・チェルトクによれば、ケルディシュは、半ば眠った状態で必要な情報取り込んで考え能力持っており、会議議論で長引くと、ケルディシュは目を閉じて黙ってしまうので、皆が彼は眠り込んだ思っていると、やおら目を開けポイント突いた反駁質問をして、周囲驚かせたという。ケルディシュは、ロケット開発における特段功績と、ヴォストーク1号による世界初有人宇宙飛行成功への貢献によって、1961年2度目社会主義労働英雄授与されている。

※この「「宇宙航行の主席理論家」」の解説は、「ムスチスラフ・ケルディシュ」の解説の一部です。
「「宇宙航行の主席理論家」」を含む「ムスチスラフ・ケルディシュ」の記事については、「ムスチスラフ・ケルディシュ」の概要を参照ください。

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