軌道決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:03 UTC 版)
ある瞬間における天体の座標 ( x , y , z ) {\displaystyle (x,y,z)} および速度 ( v x , v y , v z ) {\displaystyle (v_{x},v_{y},v_{z})} が与えられたならば、その天体の軌道要素は一意に定まりそれを計算することができる。しかし実際には1回の観測で得られるのは2つの角度(赤道座標では赤緯 α {\displaystyle \alpha } と赤経 δ {\displaystyle \delta } )だけであり、天体の軌道要素を決定するためには最低3回の観測を行う必要がある。観測データから軌道要素を決定する方法論は軌道決定(英語版)として知られている。
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軌道決定
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ティティウス・ボーデの法則は1766年にヨハン・ティティウス (1729-1796) によって発見され、1772年にヨハン・ボーデ (1747-1826) によって紹介されたことで知られるようになった。これは、太陽系惑星の軌道長半径が簡単な数列 a n = 0.4 + 0.3 × 2 n A U ( n = − ∞ , 0 , 1 , 2 , 4 , 5 ) {\displaystyle a_{n}=0.4+0.3\times 2^{n}\,\mathrm {AU} \ \ (n=-\infty ,0,1,2,4,5)} により与えらえるというものである。1781年のウィリアム・ハーシェル (1738-1822) による天王星の発見が n = 6 {\displaystyle n=6} の予測に一致したため、この法則は一層興味を集めるようになった。 1801年1月にジュゼッペ・ピアッツィ (1746-1826) は n = 3 {\displaystyle n=3} に対応するケレスを発見し(これは最初の小惑星の発見であった)2月上旬まで観測を続けたものの、見失った。そこでカール・フリードリヒ・ガウス (1777-1855) は同年9月からケレスの軌道計算に取り組み、11月にケレスの軌道計算に成功した。ガウスはフランツ・フォン・ツァハ (1754-1832) へ計算結果を送り、ツァハとヴィルヘルム・オルバース (1758-1840) はガウスの予測通りの位置にケレスを再発見した。さらに翌年に発見された小惑星パラスの軌道計算にも成功し、ガウスはゲッティンゲン大学の天文台のポストを得た。ガウスはさらに天体力学の研究を進め、その成果を1809年に『天体運行論』 (羅: Theoria motus corporum coelestium in sectionibus conicis solem ambientum) として出版した。軌道決定に関するガウスの方法(英語版)はラグランジュやラプラスによるものよりコンパクトである。なお『天体運行論』は最小二乗法に関する解説が含まれていることでも知られる。
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