「唯一天下を取った女性ピン芸人」
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「山田邦子」の記事における「「唯一天下を取った女性ピン芸人」」の解説
1981年、ドラマ『野々村病院物語』(TBS)で女優デビュー。1980年代前半を中心に女優としての仕事もこなしたが、やがてお笑いタレントへの比重を移し、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)に番組初期から末期まで出演。「ひょうきんベストテン」では主に薬師丸ひろ子(後に天久美智子、現:あめくみちこに交代)や欧陽菲菲、島倉千代子、松任谷由実、鈴木聖美などを演じ、担当コーナーである「ひょうきん絵描き歌」は大ヒット企画になった。 1982年には、漫才師ツーツーレロレロ時代の大森うたえもんと交際し、マネージャーやビートたけしとも噂になるなど、恋愛関係でも話題を提供した。田原俊彦の大ファンであることも公言し、番組でも何度か共演した。 1985年2月には、女性でありながら丸刈りの坊主頭になり話題となった。坊主頭にした理由について、当時はストレスなどから円形脱毛症に悩んでいたためと報じられたが、2020年に自らのYouTubeチャンネルで配信した動画では「かつらがかぶりやすくなって便利だから」と明かしている。また、この頃忙しさのあまり番組ごとのヘアメイクにかかる時間すらもったいないとの理由もあったと語っている。 当時同じ太田プロダクションに所属していたビートたけしがフライデー襲撃事件(1986年)で逮捕され芸能活動を自粛していた時期は、たけしの代役として『スーパーJOCKEY』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)などのテレビ番組で司会を務めることが多かった。「オレたちひょうきん族」では、女性芸人の中で出演当初からコーナーを持たせてもらえたが、プレッシャーもなく収録現場はとても刺激的だったという。しかし、たけしの代役として出演をするようになった後、番組によっては山田の代役が喜ばれていない、そんなアウェイな空気の中でも代役としてやり遂げなければならないことに初めて仕事にプレッシャーを感じたとのこと。 また、この頃多くのレギュラーを抱えた頃仕事をもらえたことに感謝しながらも、収録に追われて徐々に寝る時間がなくなった。自宅近くのジャズバーに行くことが癒やしの時間だったが、それでも一時は疲労とストレスで死の衝動に襲われ、警察の担当部署に電話をかけて悩みを相談したこともあったという。 その後、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)や『MOGITATE!バナナ大使』(TBS)など出演番組が人気になると同時に、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ)や『邦子がタッチ』(テレビ朝日)など自身の名前が入った冠番組を持つようになる。1988年から1995年まで、NHK「好きなタレント調査」において8年連続で第1位となり、好感度タレントの代名詞ともなった。全盛期にはテレビ番組のレギュラーを週14本抱え、民放の各キー局に山田専用の「仮眠室」があったと自称している。1989年公開の映画『魔女の宅急便』(宮崎駿監督)では、松任谷由実作詞・作曲の主題歌を山田が覆面歌手となって松任谷風に歌うというアイデアも存在した。 1989年、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』から誕生した、当時人気の女性デュオWinkのパロディユニット「やまだかつてないWink」名義でのシングル『さよならだけどさよならじゃない』が大ヒット。 1990年には『あっかんベーゼ』(太田出版、文庫版:角川文庫)で小説家としてデビュー。1991年に出版した2作目の『結婚式』(太田出版、文庫版:幻冬舎文庫)は発行部数40万部を超えるベストセラーとなった。その後も、「恋愛」「結婚」「女性」などを主題とした小説を多数出版している。 1994年、リカちゃん人形に関する著書『私のリカちゃん』(集英社)を発表。さらに同年、タカラから『リカちゃんのおともだちクニちゃん』という山田を模した人形も発売された。原宿にはタレントショップの「クーニーズ」を出店したが、火事で全焼する。 ゴールデンタイムで冠番組を持った女性ピン芸人は山田以外皆無だという声もあり、芸能界あるいは放送業界では女性で唯一天下を取ったお笑いタレントと評する向きもある。
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