「上からの工業化」による資本主義経済の発展(1881年 - 1894年)
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詳細は「アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)」を参照 アレクサンドル2世が暗殺されたことにより帝位を継承したアレクサンドル3世(在位1881年 - 1894年)は皇位継承宣言で父の死を悲しみ、専制権力を強固とすることを宣言した。アレクサンドル3世は極度に反動的な思想の教育係ポベドノスツェフ(後に宗務院総監を務める)の影響を強く受けており、彼は教え子に対して言論と出版の自由の危険性や立憲制そして議会制への嫌悪を教え込んだ。 アレクサンドル3世は治安維持を目的とした「臨時措置法」を公布して革命運動への弾圧を強め、教育と出版の分野でも規制を厳正化させた。取締りによって人民の意志派をはじめとする国内の革命運動は壊滅状態になり、革命的知識人にも分裂や転向が起こっている。この一方で、治安回復のための「愛民政策」が行われ、貴族階級には金融面での優遇措置を取り、地方行政での貴族の権力を強化させた。農民には人頭税の廃止と農奴解放に伴う償却金支払い軽減および共同体保護策、労働者にも労働条件の改善施策がとられた。 少数民族に対してロシア語と正教を強制するロシア化政策を推進させ、ポーランドやバルト、ウクライナ、カフカースではロシア語の使用が義務付けられた。宗教面ではポベドノスツェフの指導の元で古儀式派に対する弾圧政策が取られており、プロテスタントとカトリック、アルメニア教会には規制が強められ、中央アジアのタタール人は正教への改宗が半ば強制された。また、ユダヤ人に対する迫害が激化し、1881年には大規模なポグロム(ユダヤ人虐殺)が発生している。 政治面での反動化が進められる一方で、この時代にロシア経済は目覚ましい発展を遂げた。1861年の農奴解放以降、混乱のために工業の発展は一時的に停滞したが、1870年代に入ると繊維工業をはじめとする軽工業部門が成長した。軽工業が成長した経緯とは、おおよそ次のようなものである。南北戦争のときロシアは戦地アメリカから綿花を輸入できなくなっていた。そこでロシアは綿花地帯の中央アジアへ南下しつつ、ロシア領アメリカ(アラスカ)をアメリカに売却し米国綿アップランド種(Gossypium hirsutum)を輸入するきっかけをつくった。1873年ヒヴァ・ハン国を保護国としたが、中央アジアの産する綿花はコッカリル(John Cockerill)製などの西洋式紡績機械に適合しなかった。1883年、アップランドを中央アジアへ移植することに成功、以後ブハラ・フェルガナ・サマルカンドでも移植を進めた。 1890年代には重工業部門でも産業革命が起こった。ロシアの経済政策を主導したのがヴィッテである。1892年に大蔵大臣に就任したヴィッテは酒類専売制、間接税の引き上げ、国債の発行による国庫収入の安定化や保護関税による産業の育成、金本位制の確立を行い、さらに外国資本を導入してシベリア鉄道の敷設、および南部に新興工業地帯を建設させた。 1890年代にロシアの工業は年平均8%の成長を示しており、鉄道は総延長距離22,400㎞(1881年)から53,200km(1900年)に拡大、石炭の産出量は1860年の50倍に増加、バクー油田は世界の産油量の半分を占めるようになった。しかしながら、労働者の労働条件は劣悪であり、労働争議が頻発している。工業化の犠牲となったのが依然として人口の圧倒的多数を占める農民で、政府は農民に重税を課し、そのうえ外貨獲得のために穀物輸出を推進して飢餓輸出まで行われた。 外交面では、アレクサンドル2世の治世末期にドイツ、オーストリアとの関係は険悪化していたが、アレクサンドル3世は即位直後に三帝同盟を復活させている。だが、バルカン問題を巡るロシアとオーストリアの対立はいっそう深刻化しており、アレクサンドル3世は1887年に三帝同盟の更新拒否を決めた。フランスとの二正面対立を回避したいビスマルクの努力により、独露再保障条約が締結されるが、1890年にビスマルクを解任したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は条約の非更新を決意し、ロシアと独墺の離反は決定的となった。このため、ロシアはフランスと接近するようになり、1894年に露仏同盟が結ばれた。
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