ソロモン海の戦いとは? わかりやすく解説

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ソロモン海の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 00:02 UTC 版)

荒潮 (駆逐艦)」の記事における「ソロモン海の戦い」の解説

10月15日荒潮予備魚雷8本を陸揚し、後部甲板大発動艇十三特型運貨船)搭載装置新設する工事指示された。20日第8駆逐隊満潮復帰し駆逐隊司令山代勝守大佐就任した第8駆逐隊第八艦隊三川軍一中将)に編入された。修理終えた荒潮11月21日ソロモン海域に進出ブナ輸送作戦従事したブナ・ゴナの戦い)。12月1日駆逐艦4隻(朝潮荒潮磯波、電)でラバウル出撃したが、空襲等で輸送できた兵力半数程度だった。8日4時30分、駆逐艦6隻(風雲夕雲朝潮荒潮磯波、電)でラバウルからブナ向かったが、8時15分に空襲朝潮損傷し引き返した11日夜、駆逐艦5隻(風雲夕雲荒潮磯波、電)でラバウル出撃ニューアイルランド島カビエン熊野鈴谷から燃料補給を受け、迂回航路ブナ向かった14日揚陸成功したが、荒潮空襲で7名が死傷した同日夜、ラバウル戻った日本軍ニューギニア島東部マダンウェワク攻略作戦(ム号作戦)を発動し荒潮駆逐艦 涼風、電、磯波愛国丸、護国丸 と共にマダン攻略部隊編入された。各作戦部隊は16日トラック泊地ラバウル出撃し、ウェワク攻略成功したが、軽巡天龍加えたマダン攻略隊は18日空襲護国丸被弾揚陸中に潜水艦アルバコア雷撃天龍沈没した荒潮天龍救援命じられたが、輸送作業終わった涼風向かったマダン揚陸完了し攻略部隊20日午前中にラバウル戻った12月下旬ガダルカナル島への輸送路を防衛するため、ニュージョージア島ムンダ飛行場中心にバングヌ島ラッセル諸島ガ島カミンボに防空基地設置することにした。バングヌ島ウイックハム基地建設から始め駆逐艦6隻(谷風浦風磯波荒潮夕暮、電)が陸兵物資積んで26日夕、ラバウル出撃した。ショートランド泊地経由して27日夜に揚陸成功28日朝にショートランド泊地戻った29日大潮第8駆逐隊復帰した1943年昭和18年1月2日小柳冨次第二水雷戦隊司令官直率の駆逐艦10隻(長波涼風巻波江風荒潮親潮黒潮陽炎磯波、電)はガダルカナル島輸送作戦実施し空襲損傷した涼風護衛の電が避退したが、輸送成功した4-7日には駆逐艦4隻(長波巻波江風荒潮)でラバウルからショートランド泊地ドラム缶反復輸送した1月10-11日、小柳指揮する駆逐艦8隻(黒潮巻波江風、嵐、大潮荒潮初風時津風)はガ島への第六鼠輸送作戦実施した作戦終了後11日荒潮江風巻波大潮と共にニューギニア方面護衛部隊に編入されショートランド泊地からラバウル向かった詳細は「ケ号作戦」を参照 2月上旬ガダルカナル島撤収作戦ケ号作戦)が実行され第8駆逐隊大潮荒潮)は3回とも従事した2月14日第8駆逐隊司令佐藤康夫大佐交代した20日大潮輸送船団護衛中マヌス島沖で米潜アルバコア雷撃を受け、航行不能になった荒潮トラック泊地まで大潮曳航試みたが、21日朝に大潮船体中央断裂沈没した荒潮乗員救助してラバウル帰投した。

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ソロモン海の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 06:12 UTC 版)

嵐 (駆逐艦)」の記事における「ソロモン海の戦い」の解説

8月7日アメリカ軍ガダルカナル島フロリダ諸島上陸によりガダルカナル島の戦いはじまった8月16日、第4駆逐隊司令有賀幸作大佐(嵐座乗指揮下の陽炎型駆逐艦6隻(嵐、萩風陽炎谷風浦風浜風)は陸軍一木支隊900名(指揮官一木清直大佐)を乗せてトラック泊地発、8月18日深夜ガダルカナル島北東部タイボ岬へ揚陸した。17駆3隻(谷風浦風浜風)はラビの戦い従事するためラバウル基地向かい、3隻(嵐、萩風陽炎)でアメリカ軍小型艦艇や陸地米海兵隊攻撃する翌日アメリカ軍B-17爆撃機空襲を受け萩風大破した。嵐は萩風掩護し、ガ島警戒任務陽炎委任して退避した8月21日、嵐以下が輸送した陸軍一木支隊イル川渡河戦全滅したトラック泊地到着直前23日午後1時、嵐、萩風山本五十六長官座乗戦艦大和空母春日丸(大鷹)、第7駆逐隊(漣、潮、曙)と遭遇した萩風修理のため日本本土向かった。嵐はラバウル向かい27日入港した詳細は「ラビの戦い」を参照 嵐は一時的に第十八戦隊司令官松山光少将軽巡天龍龍田)の指揮下に入ると、ラビの戦い投入された。ふたたび第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風)が嵐の僚艦となる。8月28日14時天龍浦風護衛され駆逐艦3隻(嵐、叢雲弥生)・哨戒艇3隻は、呉鎮守府第三特別陸戦隊海軍陸戦隊)約770名を乗せてラバウル出撃29日18時にパプアニューギニアミルン湾ラビ東方到着して陸戦隊揚陸する。9月1日16時、嵐は横五特約200名が分乗する哨戒艇2隻を護衛してラバウル発、途中で浜風合流した9月2日10時25分、アメリカ軍軽巡洋艦1隻および輸送船1隻ミルン湾入港との情報得て駆逐艦2隻(嵐、浜風)のみミルン湾急行、だが米艦は既に撤収していたため水戦闘起きず悪天候のため陸上との連絡にも失敗した9月3日午前7時松山少将より陸戦隊負傷者収容敵陣砲撃命令受けて2隻は反転、再びラビへ向かう。午後10時以降浜風対地砲撃実施、嵐は陸戦隊連絡取ったのち、負傷した呉三特司令乗せて9月4日午前2時にミルン湾出発同日午後7時ラバウル帰着した撤退作戦従事中の9月6日午後10時前後、2隻(龍田、嵐)はニューギニア島ミルン湾ラビ突入港湾停泊していた連合国軍貨物船1隻を撃沈した翌日15時アメリカ軍機とB-17空襲を受け嵐に負傷者1名が出た夜間龍田、嵐は再びミルン湾突入して対地砲撃を行うが、陸戦隊収容出来なかった。 ラビ方面戦い失敗すると、嵐は再びガダルカナル島の戦いおける駆逐艦輸送作戦鼠輸送)に投入された。9月13日20時30分、嵐は輸送船佐渡丸(第二師団所属青葉支隊支隊那須弓雄少将)を護衛してラバウル発、14日午後4時ショートランド泊地着。同地橋本信太郎少将第三水雷戦隊司令官旗艦川内)が指揮する外南洋部隊奇襲隊に編入された。軽巡川内駆逐艦7隻(海風江風浦波敷波叢雲白雪、嵐)は陸兵1100名、連隊砲6、速射砲4、弾薬糧食等を搭載して午後11時にショートランド出撃したが、アメリカ軍機が活発に行動しているため15日朝の揚陸中止川内ショートランド泊地避退した。駆逐艦7隻のみで揚陸作戦続行9月15日午後8時頃にガダルカナル島北西カミンボ湾に到着して物資揚陸成功したショートランドへの離脱中、輸送隊アメリカ軍機の攻撃を受ける。嵐は急降下爆撃機9機、雷撃機4機に襲撃されたが、魚雷1本が艦底通過して回避成功、他艦も被害を受けることなく9月16日午後1時過ぎショートランド泊地戻った9月18日8時30分有賀司令駆逐艦4隻(嵐、海風江風涼風)を指揮してショートランド泊地発。またガ島ルンガ泊地アメリカ軍輸送船団侵入報告を受け、増援部隊川内浦波白雪叢雲浜風)が急遽ショートランド泊地出撃、ルンガ泊地へ向かうがアメリカ軍輸送船団素早く撤収し会敵できなかった。川内隊はルンガ泊地桟橋附近砲撃輸送隊(嵐、海風江風涼風)は夜10時以降ガ島カミンボ湾に到着して陸兵170名、野砲4門、軍需品揚陸した。9月23日附で嵐は第三艦隊復帰し25日トラック泊地到着した詳細は「南太平洋海戦」を参照 10月下旬、第4駆逐隊(嵐、舞風野分)は南太平洋海戦参加した第一航空戦隊空母3隻(翔鶴瑞鶴瑞鳳)を重巡1隻(熊野)、駆逐艦8隻(第4駆逐隊《嵐、舞風》、第61駆逐隊照月》、第16駆逐隊雪風初風天津風時津風》、第17駆逐隊浜風》)が護衛野分燃料補給船団配備されていた。10月25日南雲機動部隊無線封止中のため、命令受けた嵐は艦隊から分離して単艦で東方向かい機動部隊行動情勢発信した10月26日アメリカ軍機動部隊艦載機空襲により空母翔鶴被弾後、4駆司令艦嵐は旗艦翔鶴通信代行したその後、嵐には南雲忠一司令長官草鹿龍之介参謀長など第三艦隊司令部移乗一時的に嵐を南雲機動部隊旗艦とした。損傷した空母2隻(翔鶴瑞鳳)は駆逐艦2隻(初風舞風)に護衛されトラック泊地避退南雲長官17時30になって本職嵐ニ将旗ヲ移揚セリ、嵐ヲ率ヰ二航戦瑞鶴所在急行ス』を通知して南下開始した旗艦変更遅れた事、瑞鶴ではなくになった事について関係者幾つかの回想残している。中島親孝通信参謀によれば南雲司令部秋月型駆逐艦2番照月移乗するつもりだったが、打ち合わせ不備のため照月離れてしまい、嵐に変更されたという。翌日、嵐は機動部隊瑞鶴隼鷹等)と合流南雲司令部瑞鶴送り届けた11月2日損傷艦翔鶴瑞鳳熊野筑摩)および護衛艦(嵐、野分秋月秋雲浦風谷風磯風浜風)はトラック泊地出発翔鶴隊は11月6日横須賀帰投。嵐は8日から18日までドック修理整備を行う。修理中の11月15日附で渡邉中佐は嵐駆逐艦長職を解かれる渡邉12月28日附で陽炎型駆逐艦7番初風駆逐艦長)。2代目艦長は、舞鶴海軍工廠修理中の駆逐艦3隻(大潮不知火駆逐艦長兼務していた岡幸七中佐吹雪型駆逐艦狭霧沈没艦長等歴任となった11月21日、第4駆逐隊(嵐、野分)は横須賀出港して大分回航23日陸軍特務艦あきつ丸護衛して内地出発し12月1日ラバウル到着した。嵐、野分有明外南洋部隊増援部隊編入されショートランド泊地進出、再び『鼠輸送』に従事する12月3日田中頼三第二水雷戦隊司令官指揮下、第二次輸送作戦親潮黒潮陽炎巻波長波江風涼風、嵐、野分夕暮)を実施するが、巻波空襲により損傷した22以降ガダルカナル島タサファロング泊地ドラム缶1500個を投入したが、回収されたのは310個だけであった12月7日午前11時、駆逐艦11隻(指揮官/第15駆逐隊司令佐藤寅治大佐:嵐、野分長波親潮黒潮旗艦》、陽炎浦風谷風江風涼風有明)による第三次輸送作戦参加してショートランド泊地発。午後4時以降空襲で4駆僚艦野分」が被弾し航行不能となった。嵐も小破した。野分長波曳航され、嵐、有明護衛されショートランド泊地避退した。それ以外駆逐隊揚陸作戦続行したが、アメリカ軍魚雷艇アメリカ軍機に妨害され揚陸中止してショートランド戻った。 なお第三次輸送作戦第四次作戦参加した初春型駆逐艦2隻(有明夕暮)について田中司令官は『夕暮有明は他艦に比べて速度出ないので取扱い困った』と評価している。 詳細は「照月 (駆逐艦)」を参照 ガダルカナル島戦況悪化する一方であり、山本五十六連合艦隊司令長官は『今次駆逐艦輸送期待スルトコロメテナリアラユル手段ヲ講ジ任務達成ニ努メヨ』と激励する12月11日1330分、嵐は駆逐艦11隻(指揮官/田中二水司令官)による第四次輸送作戦参加してショートランド発。田中司令官最新鋭秋月型駆逐艦照月旗艦定め警戒隊(照月、嵐、長波江風涼風)、輸送隊陽炎黒潮親潮谷風浦風有明)という戦力揃える。だがガダルカナル島揚陸中、警戒隊(長波→嵐→照月単縦陣)はアメリカ軍魚雷艇雷撃を受け、被雷した照月自沈した。田中二水司令官長波移乗、嵐が照月救援に当たる。嵐は照月接舷して乗組員約140名を救助照月艦長以下の手により自沈。嵐に移乗できなかった第61駆逐隊司令則満宰次大佐照月艦長以下156名はガ島上陸した一方、嵐が照月救援している最中長波以下他艦はガダルカナル島海域離脱したため、嵐は単艦で現場退避、主隊から約6時間以上遅れた午後4時頃にショートランド泊地到着した投下されドラム缶1200個のうち回収されたのは220個にすぎなかったという。 1943年昭和18年1月10-11日、第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将指揮下の駆逐艦8隻(黒潮旗艦》、巻波江風、嵐、大潮荒潮初風時津風)による第五次輸送実施された。警戒隊(江風黒潮初風時津風)、輸送隊(嵐、巻波大潮荒潮)、待機隊(長波)という区分だった。作戦中、アメリカ軍魚雷艇攻撃で第16駆逐隊姉妹艦初風駆逐艦長渡邉正中佐)が大破有賀司令指揮下、駆逐艦3隻(嵐、江風時津風)はガダルカナル島からショートランド泊地まで初風護衛した同作指揮官第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将初風護りきった有賀(4駆司令)と中原義一郎(24司令)、3隻(嵐、江風時津風)を賞賛している。 続いて嵐は第十戦隊司令官木村進少将指揮官とする駆逐艦9隻(秋月第十戦隊旗艦》、時津風、嵐、黒潮谷風浦風浜風磯風舞風)でガ島輸送作戦実施した警戒隊(秋月黒潮時津風、嵐、舞風)、輸送隊谷風浦風浜風磯風)という区分だった。各艦は13日朝までにショートランド泊地集結1月14日朝に出撃した。揚陸作戦成功後の15日朝、嵐はガダルカナル島からの帰路アメリカ軍機の攻撃を受け、航行不能となる。他に谷風駆逐艦長勝見中佐戦死浦風小破した。有賀司令は第15駆逐隊黒潮による曳航申し出断り、第4駆逐隊姉妹艦舞風に嵐を曳航させている。零式水上観測機護衛も受け、各艦はショートランド泊地避退した。なお午後1時30分頃に零観10機がB-1710機・P-39エアコブラ12機と空戦行い、5機(6機)喪失引き替えP-39を1機撃墜したという。 1月16日、第4駆逐隊司令駆逐艦は嵐から舞風変更された。1月19日第十戦隊旗艦秋月アメリカ潜水艦ノーチラス雷撃大破その際木村司令官負傷したため1月21日附で第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将第十戦隊司令官任命された。嵐はトラック応急修理行い2月ガダルカナル島撤退作戦ケ号作戦)に支援隊として参加する。この第二次撤退作戦で第4駆逐隊舞風第三次撤退作戦17姉妹艦磯風損傷して長期修理となった2月13日、第4駆逐隊司令駆逐艦舞風から嵐に戻った作戦終了後2月15日第三戦隊司令官栗田健男中将金剛座乗)を指揮官とする回航部隊編制される空母2隻(隼鷹冲鷹)、第三戦隊(金剛榛名)、水上機母艦日進重巡2隻(鳥海利根)、駆逐艦5隻(第27駆逐隊時雨》、第31駆逐隊大波》、第15駆逐隊黒潮陽炎》、第4駆逐隊《嵐》)はトラック泊地出港。だが、悪天候のため航空隊収容不能だった3隻(隼鷹陽炎黒潮)のみトラック引き返した19日、4隻(鳥海冲鷹、嵐、大波)は金剛隊分離20日横須賀到着同日附で第4駆逐隊司令有賀幸作大佐から杉浦嘉十大佐交代した有賀大佐3月1日より高雄型重巡洋艦3番鳥海艦長)。2月24日、第4駆逐隊司令駆逐艦は嵐から萩風に変更される。嵐水雷長も谷川大尉から宮田敬助大尉交代。嵐は母港修理実施した

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ソロモン海の戦い

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浦風 (陽炎型駆逐艦)」の記事における「ソロモン海の戦い」の解説

1942年昭和17年8月7日アメリカ軍ガダルカナル島上陸してガダルカナル島の戦いがはじまると、トラック泊地進出する8月18日深夜、第4駆逐隊司令有賀幸作大佐指揮のもと陽炎型6隻(嵐、萩風陽炎浦風谷風浜風)は、陸軍一木支隊先遣隊トラック泊地からガ島輸送した揚陸成功後ポートモレスビー攻略にともなうニューギニア方面作戦従事するため第17駆逐隊は嵐、萩風陽炎分離しラバウル帰投した。なお浦風等が送り届けた一木清直大佐下陸軍兵900名は、17駆がラバウル到着した8月21日イル川渡河戦全滅した詳細は「ラビの戦い」を参照 8月17日附で、第17駆逐隊谷風浦風浜風)は外南洋部隊護衛部隊(指揮官松山光第十八戦隊司令官)に編入され第十八戦隊軽巡洋艦天龍龍田)等と共にニューギニア島東部ミルン湾ラビ攻略目指すラビの戦い加わった8月24日朝、天龍龍田谷風浦風浜風および駆潜艇2隻は輸送船2隻(南海丸、幾内丸)を護衛してラバウル出撃連合軍機の空襲を受けつつ進撃した25日夜、ミルン湾の上陸に成功するが、使用した海図不正確だったため揚陸地点間違え上陸した海軍陸戦隊陸上地図をもっておらず、窮地陥る十八戦隊17駆は対地砲撃をおこなうが、無線での連絡難しく効果不明だった連合軍機の空襲により大発動艇全て使用不能とされたため、輸送船から物資揚陸する手段がなくなる。十八戦隊司令官龍田浦風輸送船団対しラバウル帰投とその護衛命じた8月28日外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官第十八戦隊基幹としてラビ攻略部隊編成兵力増強する天龍谷風浦風海軍陸戦隊乗せた駆逐艦嵐、叢雲弥生哨戒艇3隻を護衛してラバウル出撃29日夜に到着して上陸開始し30日午前1時には帰途についた。このときミルン湾口を警戒していた浦風脱出を図る小型監視艇発見、これを撃沈している。 ラビ方面戦いは完全に失敗し、第17駆逐隊ガダルカナル島の戦い投入されることになった8月31日17駆(谷風浦風)はショートランド泊地移動9月1日駆逐艦4隻(浦波磯波谷風浦風)でガ島輸送実施アメリカ軍機の襲撃敷波若干損傷があった。9月24日、第24駆逐隊司令中原義一郎中佐指揮のもと駆逐艦4隻(海風江風涼風浦風)でガ島輸送実施する。だがアメリカ軍機の夜間空襲を受け2隻(海風浦風)が小破浦風被害至近弾により前部小破口を生じ揚錨故障大発動艇放棄死傷者6名というものだった作戦中止され鼠輸送東京急行)も月暗期に入る10月上旬まで見合わせることになった9月26日、第17駆逐隊外南洋部隊よりのぞかれ、機動部隊復帰した詳細は「南太平洋海戦」を参照 10月下旬南太平洋海戦における浦風南雲機動部隊前衛指揮官阿部弘毅第十一戦隊司令官)に属し戦艦2隻(比叡霧島)、重巡3隻(鈴谷利根筑摩)、第十戦隊長良駆逐艦秋雲風雲巻雲夕雲浦風磯風谷風》)という編制アメリカ軍機動部隊艦載機交戦した10月26日米空母ホーネットエンタープライズより発進した攻撃隊の一部前衛部隊襲撃谷風浦風爆弾3発の命中大破した筑摩護衛して戦場離脱29日トラック泊地帰投した。11月2日駆逐艦秋月、嵐、舞風野分秋雲浦風谷風浜風磯風は同海戦損傷した4隻(翔鶴瑞鳳熊野筑摩)を護衛し呉へ帰港した11月26日修理完了し軽巡洋艦阿賀野護衛して再度ソロモン方面進出12月1日附で駆逐艦照月浦風外南洋部隊編入され浦風5日ショートランド泊地進出する。これはルンガ沖夜戦戦訓から、連合艦隊警戒駆逐艦増強認めたための措置であった12月7日第三次ドラム缶輸送部隊親潮黒潮陽炎長波江風涼風、嵐、野分浦風谷風有明)という戦力ガ島へ向かうが、空襲により野分大破、嵐、長波野分曳航》に護衛され避退した。その他の駆逐艦隊もサボ島周辺アメリカ軍魚雷艇敵機襲撃され輸送作戦中止して12月8日朝にショートランド戻った12月11日第四次輸送作戦照月長波、嵐、親潮黒潮陽炎江風涼風谷風浦風有明)では秋月型駆逐艦照月増援部隊指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官座乗)の沈没遭遇したその他にラエムンダへの輸送作戦従事する12月16日夕方浦風敷設艦津軽護衛してラバウル出発するムンダ到着後の揚陸中に潜水艦雷撃されたため、一部物資揚陸できないままラバウル帰投した。12月21日駆逐艦4隻(浦風巻波谷風陽炎)でムンダ輸送実施輸送成功した12月25日、米潜水艦シードラゴン雷撃され損傷した南海丸護衛中駆逐艦卯月南海丸衝突して航行不能となったラバウル停泊していた第31駆逐隊長波)、第27駆逐隊有明)、第17駆逐隊谷風浦風)は急遽出動した卯月第27駆逐隊有明曳航され谷風護衛下でラバウルへ向かうが、有明もB-24爆撃機空襲により中破した。そこで浦風卯月曳航し、2隻を長波護衛してラバウル帰投した。12月27日駆逐艦6隻(谷風浦風荒潮磯波、電、夕暮)でニュージョージア諸島バングヌ島ウイックハムへ兵員物資輸送を行う。

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ソロモン海の戦い

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白露 (白露型駆逐艦)」の記事における「ソロモン海の戦い」の解説

7月中旬艦隊編制がかわり第27駆逐隊第四水雷戦隊所属する8月第27駆逐隊マーシャル諸島活動8月17日アメリカ軍によるマキン奇襲上陸受けて白露」は「時雨とともに増援陸戦隊乗せ翌日トラック出撃し、8月21日マキン到着して陸戦隊上陸させた。9月2日、アパママを占領以後、「時雨と共にガダルカナル島輸送作戦に7回従事10月24日ガダルカナル島米軍ヘンダーソン飛行場対す日本陸軍総攻撃呼応し日本海軍陸上支援および脱出艦隊攻撃のため小規模艦隊派遣した。「白露」は第6駆逐隊司令山田勇助大佐指揮下に入り、第6駆逐隊(暁、と共に突撃隊編制。他に第二攻撃隊(指揮官高間水戦司令官旗艦秋月、第2駆逐隊村雨五月雨夕立春雨》、由良)、輸送隊敷設艦津軽軽巡龍田27駆《時雨有明》)等がガダルカナル島ルンガ泊地への突入企図して行動開始していた。突撃隊3隻(暁、白露)は25日朝にルンガ泊地への突入成功、「軽巡洋艦1隻、駆逐艦1隻」撃沈報告実際駆逐艦ゼイン英語版)」に対し損傷与え艦隊曳船セミノール英語版)」、沿岸哨戒艇「YP-284」を撃沈という戦果をあげた。帰途空襲を受けるが3隻とも重大な損傷を受けることはなかった。だが第二攻撃隊はSBDドーントレス急降下爆撃機B-17爆撃機波状攻撃を受け「由良沈没、「秋月中破、「五月雨小破損害受けた。四水戦旗艦は「秋月」より「村雨」、続いて朝雲」に変更された。 その後11月12日第三次ソロモン海戦参加第27駆逐隊時雨白露夕暮)はガダルカナル島ラッセル諸島間の警戒任務だったため、挺身艦隊第十一戦隊:比叡霧島)の後方航行しており、大混戦となった第三次ソロモン海戦第一夜戦には参加していない。同夜戦において第2駆逐隊より「夕立」が沈没している。13日、「白露」は第16駆逐隊雪風」、「照月」、「時雨」、「夕暮」と共同し第一夜戦で舵故障損傷受けた戦艦「比叡」護衛した。「白露」は機銃掃射若干損傷受けた午後になり第27駆逐隊航行不能となった比叡」の雷撃処分命じられるが、発射直前に「時雨」に中止命令出される実行されたかどうかは不明続いて白露」は一時的に第十八戦隊司令官松山光少将)の指揮下に入る。パプアニューギニアラエ対す輸送作戦参加命じられ第27駆逐隊僚艦分離した輸送隊は第2駆逐隊司令雄大佐を指揮官とする駆逐艦5隻(春雨白露、電、磯波早潮)で編制されていた。11月23日2100分、「白露」以下輸送隊ラバウル出港しラエ向かった24日18時以降輸送隊米軍機執拗な夜間空襲受けて15駆逐隊の「早潮」が大破大火災となる。早潮乗組員を各艦で救助したのち、「白露」は「早潮」を砲撃により処分した輸送作戦失敗に終わる。 次の任務ブナ輸送作戦であった第10駆逐隊司令阿部俊雄大佐指揮官として駆逐艦4隻(夕雲巻雲風雲白露)は11月28日19時にラバウル出撃する進撃中の29日昼間輸送艦隊はB-17爆撃機空襲を受ける。「白露」は直撃弾と至近弾により前部大破し船体切断危機瀕した戦死者6名。「巻雲」も至近弾により損傷し輸送作戦中止された。次の輸送作戦のため「巻雲」は「白露」に接舷すると便乗陸軍兵を受け取り、「巻雲風雲」は先行してラバウル帰投した。「白露」は「春雨夕雲」に護衛され夕刻ラバウル着。投錨できないため「白露」は軽巡洋艦天龍」に接舷して停泊したラバウル応急修理おこなったのち、12月19日同地発、22日トラック泊地帰投工作艦明石」で修理を行うなどして、1943年昭和18年1月トラック泊地待機1月24日姉妹艦春雨」は空母隼鷹航空隊基地要員ウエワク輸送中に潜水艦ワフー」の雷撃大破擱座した(2月23日天津風浦風雄島曳航されトラック着)。2月16日、「白露」は陽炎型「野分(左舷機械のみ使用可能)」と共にトラック泊地出港して内地へ向かうが、悪天候の中で修理した電気溶接部分亀裂生じてしまう。19日12時、2隻はサイパンに緊急退避上級司令部命令で「野分」は先に横須賀帰投したので、応急修理施した白露」は25日単艦でサイパン出港する3月2日佐世保帰投する。前部船体切断するなどの修理作業長崎7月まで行われた

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ソロモン海の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 16:06 UTC 版)

時雨 (白露型駆逐艦)」の記事における「ソロモン海の戦い」の解説

ニュージョージア島の戦い」も参照 23日有明と共にトラック出発25日ラバウル着いたその日駆逐艦萩風・嵐とサンタイサベル島レカタ、31日-8月1日護衛駆逐艦天霧加えてブイン及びコロンバンガラ島輸送し魚雷艇交戦天霧ジョン・F・ケネディ艇長魚雷艇沈めるなどして撃退した詳細天霧参照)。有明ニューブリテン島輸送作戦中の7月28日空襲沈没した時雨萩風、嵐、江風によるコロンバンガラ島輸送護衛したが、6日夜に米第31.2任務群の駆逐艦6隻からレーダー探知下での奇襲雷撃を受け、3隻が沈没したベラ湾夜戦)。警戒艦でありながら艦隊最後尾にいた時雨面舵雷撃避け魚雷8本を撃って戦場退避。次発装填後に戻ったが「状況極めて不利」と判断し沈没艦乗員増援部隊救助陸上部隊依頼して自身救助行わず川内合流してラバウル帰投した。時雨は米駆逐艦1隻大破報告したが、実際に戦果はなかった。また増援部隊940名は殆どが溺死し輸送作戦は完全に失敗した米軍15日ベララベラ島上陸した17日、漣、磯風浜風と共にラバウル出港しベララベラ島北東輸送部隊陸軍兵約290名、海軍兵約130名)と合流した22日夜に浜風電探が米艦隊探知夜間爆撃避けるために散開した時に米第41駆逐群の駆逐艦4隻と遭遇し第一次ベララベラ海戦勃発した日本側は2回にわたって魚雷発射行い23時40分には戦闘打ち切ってラバウル向かった日本時雨巡洋艦または大型駆逐艦撃沈報告したが、米側に損害はなかった。揚陸一部除いて成功した続いて時雨など4隻はレカタ撤退ブイン転進作戦E作戦)に参加22日はいったん撤退したが、25日からの第2次作戦では川内駆逐艦漣・松風陽動として時雨浜風磯風陸戦隊収容ラバウル撤退した30日-9月1日には松風磯風と共にツルブ三度輸送9月20-21日には松風ブカ島輸送した10月1日五月雨第27駆逐隊編入した。 詳細は「ニュージョージア島の戦い#セ号作戦」を参照 9月28日五月雨磯風と共にコロンバンガラ島からブーゲンビル島陸戦隊転戦させる「セ号作戦」で第一次作戦夜襲作戦隊として参加した輸送成功したが、米駆逐艦隊の襲撃大発動艇損害出た10月1日夜に望月加えて第二次作戦実行したが、空襲受けた上に大発動艇輸送部隊に米駆逐艦6隻(ウォーラーイートン、コニイ、ラルフ・タルボット、テイラーテリィ)と魚雷艇入り乱れ十分な擁護ができなかった。支援出撃した駆逐艦9隻に揚塔し3日夜にラバウル帰投。2回の作戦で12000人の将兵脱出させた。 詳細は「第二次ベララベラ海戦」を参照 続いてベララベラ島守備隊ブイン撤収させることになり、6日早朝駆逐艦6隻(秋雲風雲夕雲磯風時雨五月雨)でラバウル出撃した。同日深夜に米第4駆逐部隊(セルフリッジ、シュバリエ、オバノン)と遭遇し第二次ベララベラ海戦生起した。日本軍夕雲沈没米軍シュバリエ沈没・セルフリッジ、オバノンが大破したが、約600名の撤収成功した8日五月雨ニューブリテン島ツルブ輸送行った帰路に湾外で米魚雷艇部隊襲撃受けた撃退し時雨砲撃魚雷艇1隻が転覆した24日五月雨白露ニューブリテン島イボキに輸送時雨爆撃損傷した詳細は「ブーゲンビル島沖海戦」を参照 11月1日米軍ブーゲンビル島上陸し重巡妙高羽黒川内駆逐艦5隻(文月水無月時雨五月雨白露)が出動したが米艦隊発見できず、ラバウル帰投した。日本軍は同島へ逆上作戦計画し大森仙太郎少将が主隊(妙高羽黒)、第一警戒隊(川内時雨五月雨白露)、第二警戒隊(軽巡洋艦阿賀野駆逐艦長波初風若月))を率い襲撃部隊編制された。逆上陸は中止となったが、襲撃部隊は米輸送船団攻撃するため同島に向かい2日未明に米第39任務部隊遭遇した。 「時雨」の見張り艦影4つ発見し0時45分に「時雨」は敵発見報じた続いて川内」でも敵を確認し戦闘始まった。「時雨」は魚雷8本を発射後、「川内」と衝突しかけた。その後川内」は被弾航行不能となり、「川内」の第三水雷戦隊司令官伊集院少将より「時雨」は「川内」の元へ近寄れとの電報届いたが、原司令は今行けば時雨」も撃沈されるとして応じなかった。「時雨」は単独攻撃機会うかがっていたが、単独では危険であり、また味方妨害にもなるとの判断から1時45分頃に「妙高」、「羽黒」と合流しその後避退。9時17分に「妙高」、「羽黒」、「時雨」などはラバウル帰投した。 この海戦川内初風沈没羽黒白露五月雨損傷したラバウル帰投した第27駆逐隊3隻の戦果大型駆逐艦2隻撃沈認定されたが、米側の雷撃による被害駆逐艦フート艦尾大破とどまった11月5日ラバウルは米第38任務部隊空襲を受け、第二艦隊旗艦愛宕など巡洋艦多数損傷したラバウル空襲)。時雨撃墜7機を報告した6日軽巡夕張と共にブカ島輸送時雨の舵が故障した輸送成功した8日輸送船御嶽山丸、東京丸護衛しラバウル出港した空襲受けたが、時雨回避運動代わりに直進して攻撃の裏をかいた。10日東京丸が米潜水艦スキャンプ雷撃を受け航行不能になった時雨東京丸救難行った後、救援駆逐艦初月交代し11日トラック到着した12日時雨白露第五戦隊妙高羽黒)を護衛してトラック出港17日佐世保到着した30日第27駆逐隊時雨白露五月雨)に春雨編入し4隻体制となった時雨奮闘昭和天皇報告された。 12月13日艦長西野少佐就いた18日修理完了すると呉に移動し妙高羽黒利根白露と共にトラック泊地陸軍兵と物資輸送する戊号輸送作戦参加した22日時雨機関部異状発生し、他の4隻は23日出港した時雨24日出発し合流した同日夜に漁船衝突し、呉に引き返した修理1日完了した29日駆逐隊司令白濱七大佐に交代した同日燧灘春雨合流した時雨春雨駆逐艦沖波朝霜戦艦山城護衛して呉を出発31日横須賀到着した

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