ラビの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 22:21 UTC 版)
ラビの戦い(ラビのたたかい・連合軍呼称:ミルン湾の戦いBattle of Milne Bay)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年8月下旬から9月初旬に渡り、東部ニューギニアのミルン湾ラビにおいて、日本軍とオーストラリア・アメリカ連合軍との間で行われた戦闘である。連合軍が建設した飛行場に対し、日本軍が海軍陸戦隊を上陸させて占領を試みたが敗退した。
- ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(2)p.18『(2)「ラビ」方面作戦 「ラビ」ニ於ケル呉三特、呉五特、横五特ハ相当ノ損害ヲ蒙リタルモ部隊ヲ集結シ再度攻撃移転ニ決ス、然レ共其ノ後ノ攻撃モ所期ノ成果ヲ挙グル事能ハズ遂ニ現地徹底ヲ下令ス9月5日ヲ以テ徹底ヲ完了セリ』
- ^ #昭和17年9月~第8艦隊日誌(2)p.18『今日迄所在不明ナリシ佐五特ハ9月9日伝令ノ連絡ニ依リ「グッドイナフ」島ノ「ワッツ」岬ニ在ル事判明セリ。9月11日弥生、磯風ハ右救援ニ赴キタルモ敵機ノ襲撃ニ依リ弥生沈没シ目的ヲ達スル能ハズ、佐五特救援ハ一時延期スルノ止ムナキニ至レリ』
- ^ 戦史叢書 49 633ページ
- ^ 戦史叢書 49 624ページ
- 1 ラビの戦いとは
- 2 ラビの戦いの概要
- 3 両軍の損害
- 4 参考文献
ラビの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:15 UTC 版)
詳細は「ラビの戦い」を参照 ニューギニア島の東端に位置するミルン湾は海空の基地の好適地であり、6月よりオーストラリア軍が湾沿岸のラビに飛行場建設を開始していた。日本軍は1942年8月4日にラビに連合軍の新飛行場があることを発見した。ラビの飛行場は日本軍にとって重大な脅威になるものと判断され、攻略の必要に迫られた。この頃、陸軍はポートモレスビー陸路攻略作戦を行っていたため戦力に余裕がなく、ラビの攻略は海軍で行うことになった。8月24日、第8艦隊の支援の下に海軍陸戦隊がラビへの上陸作戦を実施した。しかし、連合軍側の防衛体制は日本側の予想よりはるかに強力で、2度の飛行場攻撃はいずれも多くの損害を出して失敗するとともに、足の皮膚病のために歩行困難になる者が続出して攻撃の継続は困難な状況になった。さらに連合軍が積極的な反撃を開始したため日本軍の状況はますます悪化し、9月5日にラビ攻略部隊の撤収が決定され作戦は失敗した。この戦いはニューギニアにおける日本軍の最初の敗北となった。
※この「ラビの戦い」の解説は、「ニューギニアの戦い」の解説の一部です。
「ラビの戦い」を含む「ニューギニアの戦い」の記事については、「ニューギニアの戦い」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- ラビの戦いのページへのリンク