蓮門教とは? わかりやすく解説

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れんもん‐きょう〔‐ケウ〕【×蓮門教】

読み方:れんもんきょう

明治初期成立した新宗教教祖島村みつ。法華神道系で、「事の妙法様」を信仰御神水用いた病気治療で、一時多く信者得たが、布教法が新聞批判受けたりして明治末には急激に衰退し、やがて消滅した


蓮門教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 23:56 UTC 版)

法華神道」の記事における「蓮門教」の解説

明治時代初期島村嶋村)みつ(美津、旧姓梅本1831年-1904年)が、日蓮教学基盤とし、神道儀礼取り入れた法華神道新宗教「蓮門教」を創唱し、一時的に多数信者獲得した。みつは1831年天保2年3月18日長門国山口県豊浦郡岡枝村吉賀の農家梅本林蔵次女として生まれた。みつが宗教活動始め前の経歴についてははっきりしないものの、兄の梅本三郎武家萩藩西嶋家の養子迎えられその家督相続したため、当初はみつが梅本家を継ぎ、婿を取ったという。その後離婚し自身も家を離れ九州渡って豊前国福岡県小倉藩武家日蓮宗の寺院下女ないしは居候などとして過ごしていた。その日蓮宗寺院には法華神道祈祷師として活動していた小倉藩士・柳田市兵衛(素入、日蓮宗不受不施派(日堯派))が出入りしており、みつと知り合いになったらしい。また1847年弘化4年)、小倉城下の古船場町豆腐屋島村安次郎の次男幸吉の妻となり、島村となったという。1871年明治4年)頃、みつは「神の託宣」なるものを受けた、と称するようになった。同じ頃大病患ったが、市兵衛祈祷を受け全快。みつは市兵衛弟子となった1877年明治10年)に市兵衛死去した後、これを継いで祈祷師となり、翌1878年明治11年)秋、小倉に「事の妙法敬神所」を開いた。「事(じ)の妙法様(みょうほうさま)」を祀り神前で「事の妙法南無妙法蓮華経」と5回唱えて拍手礼拝するという祭式であった儀礼には中臣祓大祓禊祓用い、「二善釈門寸善尺魔、法謗退治御祈祷法華折伏、破言門離、事の一念妙法蓮華経」の文を唱するという神仏混淆祭祀行った。「御神水」を用いた病気治療お籠りなどを実施、「事の妙法様を信仰し御神水頂け病気治り現世利益もたらされる」等と称し信者にみつ直筆の「事妙法(じのみょうほう)」を授けた。しかしその後御神水」による治療依存したため医者に掛からなかった信者の子供を死亡させる事件起こし懲役6月実刑判決受けた出所後、みつは「政談講学所」、さらに「人道教授会」を称して小倉活動していたが、1882年明治15年)、主な信者とともに上京し東京下谷区練塀町次いで神田区末広町に本祠を設けて布教始めた当時チフスコレラ流行しており、みつは「チフスコレラに効く御神水」としてこれを催眠商法のような手段用いて販売し急速に多数信者獲得次々に分教会増やしたこのため邪教嫌疑内務省取り締まりを受けるところとなったが、教派属す宗教として再出発するよう斡旋された。1882年(明治15年)、旧幕臣の神職平山省斎小規模な信仰集団糾合して教派神道神道大成教興したが、1883年(明治17年)、多賀教会多賀大社多賀講)・禊教会本院などとともにこの傘下入り、みつを教祖会長とする「大成教蓮門講社となった大成教属し公認されたことにより、1884年明治17年)には小倉に「蓮門講社本祠」、1885年明治18年)には東京市芝区田村町に「蓮門教総本院」といういずれも壮大な教会建立蓮門講社東京中国地方九州地方北部教勢拡大一時天理教金光教肩を並べるほどの勢いとなり、信者数十万余教会全国100近く及んだ1889年明治22年)には東京の「蓮門教総本院」に「蓮門講社本祠」を遷して「蓮門教総祠宇」と改称、「蓮門教総本院」を「大成教蓮門第一教院」とした。 とはいえ引き続き医学的根拠のない催眠療法のような治療活動により布教し、催眠術のような手段によって「御神水」を売って財を成している(当時金額2030万円という)として、1894年明治27年)、再び内務省取り締まり受けた。『萬朝報』をはじめとする新聞や他の教派宗派文化人など多方面からも「淫祠邪教」として厳しい批判さらされ上部団体神道大成教はみつの神道教師の資格剥奪した(蓮門教事件)。この事件を受け、1901年明治34年)には内務省宗教局が「淫祠邪教取り締まり強化する」と発表した以後教勢急速に衰退し1904年明治37年2月13日、みつは74歳死去国家神道確立によって神仏混淆法華神道存在する余地狭められたこともあり、その後も蓮門教は勢い取り戻すことはなく、1916年大正5年)、蓮門教は分裂1940年昭和15年4月宗教団体法施行時には既にほとんどの教会廃絶していた。最後まで残っていた神奈川県横浜市の「宗教法人神道大成教蓮門和田講社」も1964年昭和39年)に解散しこれをもって蓮門教は消滅以後法華神道系の宗教法人なくなっている。

※この「蓮門教」の解説は、「法華神道」の解説の一部です。
「蓮門教」を含む「法華神道」の記事については、「法華神道」の概要を参照ください。

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