赤坂メディアビル
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赤坂メディアビル(あかさかメディアビル)は、1961年(昭和36年)から2003年(平成15年)まで東京都港区赤坂5丁目にあった東京放送(現・TBSホールディングス)が所有していたビルで、94年以降、同ビルに対して使用されていた名称である。同年までは「TBS本館」と呼ばれ、本社オフィス・ラジオスタジオ・TBSホールなどを擁していた。後述のテレビ局舎と併せて、TBSにとっては2代目の社屋となる。
注釈
- ^ つまりTBSにとっては初代社屋だった。
- ^ 鉄塔については1995年3月2日に解体された。その解体作業の工程を撮影した映像は同年春にTBSテレビで『特別企画 巨塔解体 ~プロたちの一期一会~』というタイトルの特別番組を制作・放送された。
- ^ 既に終了した番組も含む。
- ^ 2024年春以降は特番で継続予定。
- ^ 鉄塔の脚部は海抜30mの丘の上にあり、実質的なアンテナ高は203mだった。
- ^ Aスタジオ使用終了時期は社史に記載がなく不明。TBS50年史資料編に掲載された1973年10月のテレビ編成表には、Dスタジオ発の記載あり。
- ^ 通常Gスタジオを使用する番組がスタジオ運用上の都合でスタジオを変更する場合、このCスタジオがその代替となっていた。
- ^ 1982年から1988年の年末にかけて放送されていた『ザ・ベストテン豪華版』では、Gスタジオに次いでCスタジオも使用されていた。
- ^ ただし、『砂川啓介 いま!朝です』や『ドーナツ6』など情報色の強い番組や、平日10時台に関東ローカルで放送していた番宣番組『こんにちは!TBS』でも使用された。1980年以前はドラマの撮影にも使用していた。
- ^ アメリカGE製イメージオルシコン3管式カラーカメラを導入。カメラの重量が200kgあり、映像が不安定で調整に苦労した。感度が低く強烈な照明が必要だった。
- ^ ただし、それまでの科学技術館内のスタジオから移転した1994年4月から半年のみ
- ^ イギリス・マルコーニ製MarkⅣ
- ^ オランダ・フィリップス製PC-60プランビコンカメラを導入。イメージオルシコンのカラーカメラと比べて重量は3分の1程度と小型軽量で、感度がよく、きれいな色が出た。これ以降、イメージオルシコンは使われなくなった。
- ^ 特に生田スタジオの大規模な改築工事が行われた時に使用された。
出典
- ^ 『産業と経済』1975年5月号.p.68.
- ^ 『TBS50年史』p.577.
- ^ 遠藤幸吉, 「ラジオ東京テレビジョン」『テレビジョン』 1955年 9巻 4号 p.106-111, ISSN 1884-9644, doi:10.3169/itej1954.9.106, NAID 110003677491。
- ^ “テレビ放送の歴史と大林組の軌跡 2月1日はテレビ放送記念日です”. 大林組 (2010年2月1日). 2021年2月14日閲覧。リンク先の写真は、1957年のC・Dスタジオ増築工事完成時のもの。左手前の"JOKR-TV"と書かれた建物がA・Bスタジオ棟、奥の高い建物がC・Dスタジオ棟。
- ^ 吉田稔, 「JOKR-TVの新スタジオおよび設備」『テレビジョン』 1957年 11巻 11号 p.488-492, ISSN 1884-9644, doi:10.3169/itej1954.11.488, NAID 110003693063。
- ^ 「東京放送テレビ技術局, TBSテレビ局の新スタジオおよび設備」『テレビジョン』 1962年 16巻 5号 p.294-298, ISSN 1884-9644, doi:10.3169/itej1954.16.294, NAID 110003693412。
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス(三才ブックス)1988年4月号特集「ラジオ界おもしろ大百科事典 これがラジオのNo.1」p.34
- ^ a b 『産業と経済』1975年5月号.p.66 - 70.
- ^ a b 『財界』1975年3月号.p.74 - 75.
TBS会館
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TBSは事業多角化の一環として、本社北隣に地上9階・地下1階建ての「TBS会館」を建設するが、この会館の管理を目的に、1964年(昭和39年)10月、TBS100%出資の子会社「TBS会館」を発足させた。当初はこの会館の貸ビル事業のみを行っていたが、66年には不動産ブームの到来とともに、社名を「TBS不動産」に変更し、本格的に不動産事業に進出し、さらに72年には「TBS興発」に改名し、レジャー産業にも手を伸ばした。しかし、その後不況のあおりで業績が急速に悪化し、1975年(昭和50年)4月1日、三井不動産に譲渡された。
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