2代目 A10型系
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「日産・バイオレット」の記事における「2代目 A10型系」の解説
A10/A11型は日産のWRC参戦の主力マシンとなり、1979年-1982年の「サファリラリーで4大会連続総合優勝」を達成した(ちなみに、1979年と1980年は2バルブヘッドエンジン搭載のグループ2マシン、1981年と1982年は4バルブヘッドエンジン搭載のグループ4マシンでの参戦)。 この4連覇は全て元FIA評議委員長でケニア在住のシェカー・メッタが日産ワークス時代にドライブしたもので、WRC史上初の「同一ドライバーで同一イベント4連覇」を記録している。日本国内ではスーパーシルエットレースに参戦するなど、強烈なスポーツイメージも兼ね備えていた。PA10型のサファリラリー歴代優勝マシンは現在、メッタのマールボロ・カラーマシンも含めて全てが日産の座間事業所内にある座間記念車庫に保管されている。 1979年 - 第27回サファリラリーに参戦し、総合優勝。富士スーパーシルエットレースに海外ラリー競技用エンジンLZ20B型にターボチャージャーを装着したLZ20B/T型エンジンを搭載した「バイオレットターボが参戦。ドライバーは柳田春人が務めた。3月 - 富士300キロスピードレース 10位 5月 - 富士グラン250キロレース 7位 9月 - 富士インター200マイルレース 7位 10月 - 富士マスターズ250キロレース 優勝 1980年 - 5ドアハッチバック(1,600ccのみ)・女性仕様1,400ファンシーGL(ATのみ、セダン・オープンバック)追加。第28回サファリラリーで総合優勝(連覇)。前年に引き続き、富士スーパーシルエットレースに「バイオレットターボ」が参戦、ドライバーは柳田春人が務めた。 3月 - 富士300kmスピードレース GTIIクラス 優勝 9月 - 富士インター200マイルレース GTIIクラス 優勝 10月 - 富士マスターズ250kmレース GTIIクラス 優勝 1981年 - 第29回サファリラリーで総合優勝(3連覇)。 1982年 - 第30回サファリラリーで総合優勝(4連覇)。この年は後継ラリーマシンとしてS110型シルビアベースの新型グループ4マシンが用意されていたが、信頼性などの問題を抱えていたため、サファリラリー4連覇目が掛かっていたシェカー・メッタはすでに生産終了していた前年型のPA10型グループ4マシンを選択した。これを快く思わなかった日産はワークス・バックアップを拒否。このためメッタはプライベーターとして参戦することになってしまった。参戦したメッタのマシンは前年までの日産トリコロールカラーではなく、白いボディにマールボロ・レッドがペイントされていた。結果としてS110型シルビアベースの新型マシンは信頼性不足によるマシントラブルによって徐々に遅れ、最高位は3位。対するメッタのバイオレットは総合優勝し、4連覇を達成した。勝負を優先したメッタはラリー史に名を残したが、この一件以降日産とのワークス契約がかわされることはなかった。 2010年11月03日 - 神奈川県厚木市にある日産テクニカルセンターの公開日に、1982年のサファリ総合優勝マシンが、マールボロレッドのカラーリングで完全レストアされ、特別展示された。 レストアメンバーの解説によると、レストア作業中資料を見返すうちに、前年2位入賞のマシンとシャシナンバーが同一であることが判明。カラーリングの復元にあたり、マールボロ側に許可を取り、ペイント、ステッカー張りが行われたとのことである。
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2代目 A10型系(1977年-1984年)
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「日産・バイオレット」の記事における「2代目 A10型系(1977年-1984年)」の解説
1977年5月20日、モデルチェンジでA10型が登場。ブルーバードから独立し独自の型式名が与えられた。デビュー時のボディタイプは4ドアノッチバックセダンと、「オープンバック」と称する3ドアハッチバッククーペ、そしてライトバンの3種類(海外市場向けはライトバンの代わりにステーションワゴンが設定)。その後1980年には姉妹車のスタンザリゾートに準じた5ドアハッチバックセダンを追加している。サスペンションは、前輪は先代モデルと同じマクファーソン式ストラットコイル、後輪は、全車種4リンクコイル式リジッド(ライトバンはリーフ式リジッド)であった。セダンは510型ブルーバードを意識したボクシーで機能的なスタイルに戻っている。2代目バイオレット登場と同時に、スポーティ志向で若者向けの「バイオレットオースター」(後の「オースター」)が、その3ヵ月後の8月には、ラグジュアリー志向で「ミニ・セドリック」的な性格の「スタンザ」がそれぞれ姉妹車として登場。さらに、モデルチェンジで下級クラスに回帰した910型ブルーバード登場後は、同じ販売店で競合することとなる。またオーストラリアではバイヤーに人気があったものの、スタイリングやドライブトレーンに関して特に「Wheels(英語版)」誌によって大きく批判されていた。メキシコではダットサン・サムライ(DATSN-SAMURAI)として、後の日産・サムライ(NISSAN-SAMURAI)として現地生産・販売を行っていた。日本ではバイオレットリベルタへフルモデルチェンジされたのにもかかわらず、1984年までメキシコ及びラテンアメリカ圏で生産・販売を行われていた。メキシコにおける生産シリーズをFF車投入の受け皿としてB11日産・ツル(TSURU日本名:日産・サニー)が投入された。 1977年5月 - モデルチェンジでB-A10/PA10型が登場。 1978年5月 - 昭和53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行。 9月 - スポーティ仕様の「1600GX/GX-EL」を追加。 1979年6月 - マイナーチェンジによりヘッドランプが丸型4灯から角型4灯に変更。 1980年4月 - 5ドアハッチバック(Z16E/Z16S)と女性仕様の1400ファンシーGL(オートマチック専用車)を追加。 1981年6月 - バイオレットリベルタにフルモデルチェンジ。 1982年10月 - 5ドアバンが販売終了。事実上の後継車種は5代目サニー派生のダットサンADバン(後のAD)となる。 1984年 - メキシコでの販売を終える。後継はツル。 ダットサン510ワゴン(後期型) ダットサン510ワゴン(後期型)リア ハッチバック(後期型)リア
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