2代目 A10型系とは? わかりやすく解説

2代目 A10型系

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:09 UTC 版)

日産・バイオレット」の記事における「2代目 A10型系」の解説

A10/A11型は日産WRC参戦主力マシンとなり、1979年-1982年の「サファリラリー4大連続総合優勝」を達成したちなみに1979年1980年は2バルブヘッドエンジン搭載グループ2マシン1981年1982年は4バルブヘッドエンジン搭載グループ4マシンでの参戦)。 この4連覇全てFIA評議委員長ケニア在住シェカー・メッタ日産ワークス時代ドライブしたもので、WRC史上初の「同一ドライバー同一イベント4連覇」を記録している。日本国内ではスーパーシルエットレースに参戦するなど、強烈なスポーツイメージも兼ね備えていた。PA10型のサファリラリー歴代優勝マシンは現在、メッタのマールボロ・カラーマシンも含めて全て日産座間事業所内にある座間記念車庫保管されている。 1979年 - 第27回サファリラリー参戦し総合優勝富士スーパーシルエットレースに海外ラリー競技用エンジンLZ20B型にターボチャージャー装着したLZ20B/T型エンジン搭載した「バイオレットターボが参戦ドライバー柳田春人務めた3月 - 富士300キロスピードレース 105月 - 富士グラン250キロレース 7位 9月 - 富士インター200マイルレース 7位 10月 - 富士マスターズ250キロレース 優勝 1980年 - 5ドアハッチバック(1,600ccのみ)・女性仕様1,400ファンシーGL(ATのみ、セダン・オープンバック)追加第28回サファリラリー総合優勝連覇)。前年引き続き富士スーパーシルエットレースに「バイオレットターボ」が参戦ドライバー柳田春人務めた3月 - 富士300kmスピードレース GTIIクラス 優勝 9月 - 富士インター200マイルレース GTIIクラス 優勝 10月 - 富士マスターズ250kmレース GTIIクラス 優勝 1981年 - 第29回サファリラリー総合優勝3連覇)。 1982年 - 第30回サファリラリー総合優勝(4連覇)。この年後継ラリーマシンとしてS110型シルビアベースの新型グループ4マシン用意されていたが、信頼性などの問題抱えていたため、サファリラリー4連覇目が掛かっていたシェカー・メッタはすでに生産終了していた前年型のPA10型グループ4マシン選択した。これを快く思わなかった日産はワークス・バックアップを拒否このためメッタプライベーターとして参戦することになってしまった。参戦したメッタマシン前年までの日産トリコロールカラーではなく、白いボディにマールボロ・レッドがペイントされていた。結果としてS110型シルビアベースの新型マシン信頼性不足によるマシントラブルによって徐々に遅れ、最高位3位対すメッタバイオレット総合優勝し、4連覇達成した勝負優先したメッタラリー史に名を残したが、この一件以降日産とのワークス契約かわされることはなかった。 2010年11月03日 - 神奈川厚木市ある日テクニカルセンター公開日に、1982年サファリ総合優勝マシンが、マールボロレッドのカラーリングで完全レストアされ、特別展示された。 レストアメンバーの解説によると、レストア作業資料見返すうちに、前年2位入賞マシンとシャシナンバーが同一であることが判明カラーリング復元にあたりマールボロ側に許可取りペイントステッカー張りが行われたとのことである。

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2代目 A10型系(1977年-1984年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:09 UTC 版)

日産・バイオレット」の記事における「2代目 A10型系(1977年-1984年)」の解説

1977年5月20日モデルチェンジでA10型が登場ブルーバードから独立し独自の型式名与えられた。デビュー時ボディタイプは4ドアノッチバックセダンと、「オープンバック」と称する3ドアハッチバッククーペ、そしてライトバン3種類(海外市場向けライトバン代わりにステーションワゴン設定)。その後1980年には姉妹車のスタンザリゾートに準じた5ドアハッチバックセダンを追加している。サスペンションは、前輪先代モデルと同じマクファーソン式ストラットコイル、後輪は、全車種4リンクコイル式リジッドライトバンリーフリジッドであったセダン510ブルーバード意識したボクシー機能的なスタイル戻っている。2代目バイオレット登場同時に、スポーティ志向若者向けの「バイオレットオースター」(後の「オースター」)が、その3ヵ月後の8月には、ラグジュアリー志向で「ミニ・セドリック」的な性格の「スタンザ」がそれぞれ姉妹車として登場。さらに、モデルチェンジ下級クラス回帰し910ブルーバード登場後は、同じ販売店で競合することとなる。またオーストラリアではバイヤー人気があったものの、スタイリングドライブトレーンに関して特に「Wheels(英語版)」誌によって大きく批判されていた。メキシコではダットサン・サムライ(DATSN-SAMURAI)として、後の日産サムライ(NISSAN-SAMURAI)として現地生産販売行っていた。日本ではバイオレットリベルタフルモデルチェンジされたのにもかかわらず1984年までメキシコ及びラテンアメリカ圏で生産・販売行われていた。メキシコにおける生産シリーズFF車投入受け皿としてB11日産ツルTSURU日本名日産・サニー)が投入された。 1977年5月 - モデルチェンジでB-A10/PA10型が登場1978年5月 - 昭和53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行9月 - スポーティ仕様の「1600GX/GX-EL」を追加1979年6月 - マイナーチェンジによりヘッドランプ丸型4灯から角型4灯に変更1980年4月 - 5ドアハッチバック(Z16E/Z16S)と女性仕様1400ファンシーGLオートマチック専用車)を追加1981年6月 - バイオレットリベルタフルモデルチェンジ1982年10月 - 5ドアバンが販売終了事実上の後継車種5代目サニー派生ダットサンADバン(後のAD)となる。 1984年 - メキシコでの販売終える。後継ツルダットサン510ワゴン後期型ダットサン510ワゴン後期型リア ハッチバック後期型リア

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